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2008/08/01

アイデンティティの問い直し

 沖永良部島は、二〇〇三年に復帰五〇周年を迎えた。日本復帰のために沖縄との差異を強調し日本復帰を果たした時期から半世紀が経過した。奄美群島日本復帰五〇周年記念式典には、天皇皇后両陛下が臨席した天皇の奄美大島行幸に郡民は大いに歓喜した。他方、沖縄は一九七二年に日本に復帰した後も米軍基地問題などを抱え、本土との間に確執を持ち続けている。歴史の中で、帰属の変更を余儀なくされてきた狭間の島であるがゆえに、沖縄に属しても本土に属しても、奄美は、沖永良部島は、「周辺」であり続けた。

 奄美各地や本土では、復帰五〇周年にちなんだイベントが開催された。例えば、二〇〇三年三月元日には大阪市中央公会堂で、沖永良部出身の古村好昭が会長を務める関西奄美会主催の「奄美群島日本復帰五〇周年記念奄美サミットin関西」が、そして二〇〇三年九月五、六日には名瀬市の「奄美文化センターで第二回「世界の奄美人(アマミンチュ)大会」が開催された。奄美の人々は今アイデンティティを問い直している。日本復帰後、激しさを増した本土化にもかかわらず、なくなることのない「大和」との違和感と、修復困難な沖縄との精神的別離に、奄美の人々はヤマトンチュでもウチナンチュでもない「アマミンチュ」としてのアイデンティティを見出そうと
している。『奄美戦後史―揺れる奄美、変容の諸相』

 「天皇の奄美大島行幸に郡民は大いに歓喜した」というのが、戦前のことではなく復帰五〇周年であることに、ぼくは愕然とする。ぼく個人の感じ方からすれば、同じあまみんちゅでも隔絶感を覚えるところだ。

 どうして「天皇の奄美大島行幸に郡民は大いに歓喜」するのだろうと考えて、ぼくが思うのは、奄美はきちんと敗戦に出会っていないのではないかということだ。敗戦の詔勅もまともに伝わらず、どこかからの風聞のように聞き届け、その意味を受け取る間もなく、米軍占領下に置かれ、あとは日本復帰に躍起になっていった。だから、日本人意識が戦前のまま復帰後の世界へ地すべり的に入っていったのだ。そうでなければ、この「歓喜」は理解できないのではないだろうか。

 奄美は、復帰の相対化がなされていないのと同じように、天皇の相対化がなされていないのだ。

◇◆◇

 「奄美の人々は今アイデンティティを問い直している。」

 ぼくもこの問いに答えたいのだと思う。
 復帰後、獲得した「日本人」意識を、ぼくは国家と社会を分けて考えることができる近代市民社会の自己意識として捉え返して大事なものとするとともに、一方でゆんぬんちゅとしてのアイデンティティを掘り下げながら、大和と沖縄との対話により、ゆんぬんちゅのよりよい形を編んでゆけたらと思う。

「沖永良部島の戦後史から現在をみる」高橋孝代
『奄美戦後史』23


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