« 「幕藩制下における琉球の位置」3 | トップページ | 「沖縄単独州」を支持 »

2008/08/31

「幕藩制下における琉球の位置」4

4.日琉関係の隠蔽

 島津氏による琉球支配は、当初、中国側でも周知のことだった。「島津氏に囚われの身になっている琉球王の帰国を、明帝が中琉関係の継続を条件に請うている」という。

 少なくとも明代は、日琉関係を隠蔽する理由はなかったとみてよい。

 ところが、18世紀に入ると、琉球は日本(薩摩)との関係を隠蔽し、対外的に「独自の王国」を装う。
 琉球は、一時、島津氏の侵略を受けたが、国王の琉中関係の断絶をうれえる訴えが容れられて解放された。そしていまは、日本の属島、宝島とだけ通商している。と、そんな方便を編み出した。

 天和三年(1683年)までの冊封。
 ・宝島は琉球の支配下であるという名目で、日本人が宝島人として封王使と対面。
 享保四年(1719年)の冊封。
 ・琉球は宝島との関係を否定して、日本人の対面を拒否。

すでに日本人を宝島人と偽称する偽装が始まっていたこと、そのために宝島という場が設定され、琉球は中国に対して日琉関係を弥縫することができたことなどがわかる。

 では、隠蔽が始まったのはなぜか?

 日琉関係の「隠蔽」は、中国の明清交替の内乱で新たに覇権を撞った清と琉球がこれまでどおりの朝貢関係を姫持する必要から案出されたと思われる。 

 紙屋は、大事なことは、こうした隠蔽が、薩琉の合意のもとになされていたことで、日本人を宝島人と偽称する偽装をし、ついで宝島との関係も否定する隠蔽は、琉球使節の位置づけの変化と対応していることだ。

 こうして紙屋は、日琉関係の隠蔽を四段階で整理している。

 1.日琉関係が公然であった時期(明代)
 2.日本人を宝島人と偽称した時期(清代、一七世紀後半)
 3.宝島(度佳喇)を日本の属島として日琉関係を隠蔽した時期(一八世紀前半)
 4.中国の海禁政策の復活により隠蔽政策が強化された時期(一八世紀後半以降)

 こうした日琉関係の隠蔽=「独自の王国」の偽装は、琉球が中国との朝責関係を維持するための措置にはかならなかった。
 

 ぼくたちにとって隠蔽の経緯を追うことは、奄美の二重の疎外の背景を踏まえる上で重要だ。


 ところでこの隠蔽政策には落ちがある。

 しかし、この偽装の実態を中国側は先刻承知しており、天和三年の封王便迂栂はその使録のなかで、(中略)宝島(歴任嘲)は日本であることを看破している。

 天和三年は1683年。隠蔽の初期である。

 ふたたび、やれやれ、と言いたくなるというものだ。


『幕藩制国家成立過程の研究―寛永期を中心に』(紙屋敦之、1978年)

|

« 「幕藩制下における琉球の位置」3 | トップページ | 「沖縄単独州」を支持 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「幕藩制下における琉球の位置」4:

« 「幕藩制下における琉球の位置」3 | トップページ | 「沖縄単独州」を支持 »