護岸堤とゴルフ場
薗さんは、奄美の主だった住民運動を挙げている。
用安(笠利町)の消波ブロック設置問題 1989
・護岸堤が張り巡らされてから後の1960年代、リーフ内の離岸堤、消波ブロックの建設が目立つようになる。
・用安の消波ブロック反対は、奄美大島の初の反対運動。
ヒン浜(大和村)の護岸堤問題 1990
徳之島(花徳の里久浜)護岸とモクマオ植樹 1990
呑之浦の遊歩道・桟橋建設問題 1990
・加計呂麻島呑之浦の島尾敏雄文学碑と震洋艇格納壕を結ぶ遊歩道計画
・「原風景」を残すことを根拠に反対。現在、遊歩道は縮小して建設。おおむね以前の風景は残された。
これはぼくも訪れたことがあるので、よく分かる。
市理原(龍郷町)ゴルフ場建設反対運動 1990
市埼(住用村)ゴルフ建設反対運動 1992
「自然でメシは食えない」という声。『奄美戦後史―揺れる奄美、変容の諸相』
護岸堤、消波ブロック、ゴルフ場、反対運動の場所はそれぞれ違うが、どれにしても、自分の島で問題になった場所や出来てしまった場所を思い出すことができる。似たりよったりなことを一斉に行ったことがよく分かる。
ちなみに与論にもゴルフ場がある。それを聞いたときには、与論に?ゴルフ場所?どこに?何のために?不思議で仕方なかった。
「復帰後の奄美の変容-『宝の島』・『捨てられた島』が『利権の島』に-」薗博明
『奄美戦後史]30
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