三島物語-ウラトミ伝説
名護は、「島民の抵抗」としてウラトミ伝説を挙げている。
ウラトミは瀬戸内町加計呂麻島の生間の農家の生まれ。当時は薩摩藩の支配が始まったばかりで、代官の権力は絶大だった。十八歳の娘盛りのウラトミは島一番との評判が高かったので当然、代官(竿入奉行だったという説もある)の目に留まった。さっそく島役人が代官の「上意」を伝えにきた。ところがウラトミは一言のもとにこれを拒絶する。いくら口説いても首をタテに振らない。
この代償は余りに大きかった。面目の潰れた代官と島役人はウラトミ一家だけでなく、地区全体に過酷まりない重税を課し、あらゆる圧迫を加えた。娘の貞操は守りたいし、世間への申し訳に困った両親は、愛娘を生きながら葬ることとし、わずかの食糧を載せて、泣きわめくウラトミを小舟に乗せて流した。
(中略)
数日後、幸運にもウラトミの舟は喜界町小野津に漂着した。やがてウラトミは村の青年と結婚、愛娘ムチャカナも生まれ、人もうらやむ幸福な日々を送った。ムチャカナも母にも優る美人だった。やがてムチャカナは島の男たちの評判を一身に受けるようになった。これが他の娘たちの妬みを買った。ある春の日、娘たちはムチャカナを誘って青海苔摘みに行った。そうして無心に摘むムチャカナを激流に突き落とした。これを知った母ウラトミは、娘の後を追って自らも入水自殺を遂げ、悲劇に包まれた運命の幕を閉じた。(中略)
娘ムチャカナの遺体は数日後、対岸の奄美市住用町青久の海岸に流れ着き、青久の人たちが墓碑を建ててねんごろに弔った(後略)。(『奄美の債務奴隷ヤンチュ』)
代官の横暴に端を発するが、閉鎖共同体の嫉妬で幕を閉じる。痛ましいのは、代官の横暴に追われただけではなく、嫉妬によっても追われ、結局は共同体から弾き出されたことだ。
ぼくが心惹かれるのは、この説話が世代をまたぎ、加計呂麻島、喜界島、奄美大島の三島を舞台にした物語だということだ。加計呂麻島が代官の横暴に追われる舞台、喜界島は難を逃れたウラトミが幸福を手にするが、娘のムチャカナが、ウラトミと同じ女性美によってふたたび難を受け死に追いやられる舞台、そして奄美大島は、ムチャカナを引き取り鎮魂する舞台になっている。ウラトミ伝説は、三島を世代をわたってつなぐ奄美物語でもある。外からの強制でしか奄美という共同性を見つけるのは難しいなかにあって、複数の奄美を語れる、これは話なのだ。
この説話の痛ましさが消えないのは、奄美大島の青久で弔われるのはムチャカナだが、ウラトミはそうではないことだ。ウラトミの鎮魂は、この話を聞くひとりひとりに託されているのだと思う。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
コメントありがとうございました。とても充実した日々でした。沖縄島では高橋孝代さんにもお会いしました。
ところで、藍澤さんのメールアドレスをご存知でしたら、ご教示ください。どうぞよろしくお願いします。
投稿: 松島泰勝 | 2008/08/23 16:44