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2008/07/28

日本の喪失と鹿児島からの解放

 黒柳さんは、杉原さんと同じように奄美の日本復帰を、内部からはなかなか聞こえてこない声で分析してくれている。

 単純化を恐れずに敢えて言えばこのような民主化の進む祖国日本を失ったことは「喪失」ということができ、差別に苦しめられた鹿児島県からの否応なしの自立は「解放」と言うことができよう。もちろんこのように截然と分けることはできないだろうが、本稿ではこの「解放」に伴って生じた政治的再編成とそれに伴う政治構造の変容を検討したのである。この時期、奄美群島は鹿児島県庁の出先機関として行政を運営する大島支庁を中心とした県の一部としての政治空間から、軍政府の決定する政策に従う「地方政府」として行政を運営する政庁を中心とした独自の政治空間へと変貌を遂げた。しかも、政庁は、もちろん軍政府の監督下ではあったが、大蔵省管轄の税務署、逓信省管轄の郵便局、果ては司法省管轄の裁判所や刑務所といった戦前の国家機関をも系列化したもので、こうした「中央政府」ぶりはこれまでの奄美群島の住民だけでなく日本の住民も地域レベルにおいて経験したことのないものであった。人的にも、軍政施行に伴って日本に本籍を有する官吏は送還され、復帰に至るまで奄美群島の官庁は地元住民のみで運営された。政庁の知事以下各部課長から一般職月にいたるまで全て自前の人材であったのは、奄美群島にとって近代以降この米軍政下に置かれた足掛け八年のみのことである。一九四六年三月の軍政施行後一九五二年四月の琉球政府発足まで旧鹿児島県地域には鹿児島県知事と臨時北部南西諸島政庁知事・奄美群島政府知事という二人の知事がいたのであり、この歴史的事実は重い意味を持つといえる。『奄美戦後史―揺れる奄美、変容の諸相』

 日本からの分離という「喪失」と鹿児島県からの分離という「解放」。奄美の内部からは、「喪失」の声は割れんばかりに聞こえてくるが、「解放」の側面はほとんど聞かれない。ふつうに考えるとそれは不思議なことだ。どうして、「日本の喪失」は声高に言われるのに、「鹿児島からの解放」が言及されることはないのだろう。

 このことは、米軍統治を「異民族支配による屈辱」と評価するのにそれに該当する言葉を対薩摩に対して用意していないのと符合している。そう考えれば、それは鹿児島が「日本」というカードを持っているから、「解放」は無意識に抑圧されているのだと思う。あるいは、「解放」を感じる余裕は当時、望むべくもなかった。

 もしそうなら、「奄美群島政府知事」が存在した事実の重みは、ぼくたちが改めて受け取るべきこととしてあるのだと思う。


「奄美群島の分離による地域の政治的再編と政党」黒柳保則
『奄美戦後史』19



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