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2008/07/22

復帰運動の宿題

 奄美の島と人々がそれぞれの思いを交錯させながら勝ち得た「日本復帰」。それは泉芳朗議長を頂点にした立派な指導者たちのそれぞれの血のにじむような苦難と活躍があったむ私たちはそのことを忘れてはならない。
 あれから五十数年。戦争が終わって六〇年。「世界平和」を願ったはずが今でもどこかで戦争が続いている。
 「奄美の復帰は早かった、沖縄と一緒で良かった」という意見もある。奄美のその後の人口減少、沖縄との経済の格差(補助金の格差)等々……。
 しかし当時の先人たちは戦後の混乱と異民族支配の屈辱、子孫の教育など戦後復興を考えたら一日たりとも母国日本に帰りたいのが人情なのだろう。私たちはそれでいいと思う。先人たちの民族の叫びと世界の歴史に刻まれた「血の一滴」も流さずに勝ち得た「日本復帰」の運動を忘れずに、これからの郷土建設に取り組んでほしい。『奄美戦後史―揺れる奄美、変容の諸相』

 奄美の復帰運動をめぐる言説のなかで違和感があるのは、「異民族支配による屈辱」という表現だ。それなら、薩摩藩による支配は、異民族支配ではなかったのだろうか。いや、異民族支配という表現自体に茶々を入れたいわけではない。アメリカ占領期を「異民族支配による屈辱」と言う割りに、薩摩藩による支配に対するそれに対応する表現がないのがいぶかしいのだ。薩摩藩による支配に対する表現が空白なのに、アメリカ支配を「異民族支配による屈辱」と表現するのは、紋切り型の言葉に歴史認識を委ねすぎてしまっているように感じられる。たとえば、この表現だけでは、ジョージさんがトラックを貸してくれた文脈はただの矛盾にしか映らなくなってしまう。

 「異民族支配による屈辱」を置くことで、その分、奄美の復帰運動は美化されていないだろうか。ぼくたちは先人の労力を尊重するなら、「私たちはそれでいいと思う」と肯定するなら、復帰運動が行ってきた自己否定を捉え返す宿題に取り組むべきではないだろうか。

 というか、それをぼくたちの宿題として受け止めたいと思う。


「復帰運動史の中の南二島分離問題」川上忠志
『奄美戦後史』13


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コメント

喜山さま、約20年ご無沙汰しています。
齋藤健です。
偶然このサイトを見つけコメントさせていただきす。
当時から喜山さまが与論のご出身であったことは
うかがっておりましたが、
与論に対する真摯な思いが伝わってきます。
当時の喜山さまのことを思い出しました。
お元気でご活躍のご様子、何よりです。
またお会いできることを楽しみにしています。

投稿: 齋藤健 | 2008/07/23 12:29

斎藤さん

よく見つけましたねえ。メールもいただいてますねえ。
そちらに返事しますね。

お便りありがとうございます。

投稿: 喜山 | 2008/07/27 23:22

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