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2008/07/24

「太平洋中の天然の牢屋」

 前に、軍政期奄美に見られた親米の態度から、そこに二重の疎外からの解放という側面があったと考えた。けれどそれはあくまで潜在的なもので、軍政は抑圧的であったと受け止められていたようだ。

この五年間の奄美軍政は、占領初期にこそ「言論、集会、宗教、組合の自由」を保障した「命令5号(自由令)」(堅ハ年六月四日)を出すなど民主化政策もとったが、それは一年半ほどで終わって四七年九月=日には「命令13号」を出し、命令5号を取り消した。これは同月七日からの私設市町村長会(「私設」とは公式招集でなく自主的に誓ったという意味)が復帰要望を決議して、それを軍政官に提出しようとしたのを拒絶する意思表示だった。以後望化のけん制、弾圧の時期に入った。「軍政府情報官はおどろくばかりの諜報網を張って」、軍政に協力的でないという理屈をつけて、ささいな発言や、文書表現をチェック・干渉し、集会でのプラカード撤去などの強権的な圧力をかけ、軍事裁判での〃断罪〃をちらつかせた。言論表現の自由は極端に抑圧された。経済的に極度にひっぱくしていた上、さらに政治的にも抑圧されて「さながら太平洋中の天然の牢屋」(雑誌「自由」五一年四月号)と形容された奄美の現実が、徐々に日本復帰によってしか事態は打開されないという意識を醸成し始めた。特に四九年四月二九日に発表された軍政府の「配給食糧三倍値上げ」方針は全島の怒りを呼び、「日本復帰」への思いがいっそう切実で確固としたものになった。それは日本本土との歴史的、文化的、民族的一体感に基づく復帰思想(感情)といえるだろう。『奄美戦後史―揺れる奄美、変容の諸相』

 なんというのか、「ささいな発言や、文書表現をチェック・干渉し、集会でのプラカード撤去などの強権的な圧力をかけ、軍事裁判での〃断罪〃をちらつかせた。」という状況は、まるで戦前の延長だ。経済的だけでなく、政治的にも奄美は逼迫していたのだ。

 ぼくは、「さながら太平洋中の天然の牢屋」という表現に目が留まる。アメリカの軍政は戦前の延長に見えるが、「さながら太平洋中の天然の牢屋」なのは、薩摩藩の侵略以降、同じだと言えるからだ。


「『北緯三〇度』とは何だったか-奄美の分離と復帰を考える-」杉原洋
『奄美戦後史』15



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