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2008/07/12

外国人ではない印

 「阪神」での奄美復帰運動の動向。まず、日本から離れ米軍統治下に入った奄美は、「奄美は日本ではない」という規定に対して、「奄美(人)は外国(人)ではない」と応えた。

第1期 敗戦の混乱~「祖国分離」
郷土会の乱立期      1945.08-1951.01
第2期 対日講和条約へ
署名運動の展開      1951.02-1951.09
第3期 復帰運動の再建
低迷期を経て運動の高揚 1951.10-1952.08
第4期 二島分離反対運動
「もうひとつの復帰運動」  1952.09-1953.12

 第2期はどうだったのか。

こうした「三国人」と区別するためのシーニュ(しるし)として注目したいのは、連盟員であることを示す胸につけるバッチである。喜界島出身で、尼崎の奄美連盟に結成当時からかかわっていた孝野武志は、買い出しをしてきた人々の群れを乗せた列車が駅に到着すると、朝鮮半島出身者が他人の荷物も一緒にプラットフォームに放り投げてそれを持ち帰ってしまうことを実見している。このような時に効力を発揮したのが、奄美連盟のバッチであった。「バッチをつけていれば、朝鮮半島出身者も野暮なことはしなかった」と言う。このバッチは、尼崎では沖縄人連盟が先に付けていたと孝野は証言している。後には、奄美連盟の他にも、南西諸島連盟などもバッチをつけていて、これが奄美や沖縄出身者で構成する団体に属していることの明確なシーニュとして機能することになる。「三国人」でもなく「内地人」でもない曰く言い難い第三の立場として自らの存在を衆目にさらすことになるのである。『奄美戦後史―揺れる奄美、変容の諸相』

 日本の内部に組み入れられている時、奄美人は失語しその姿を消すようにいることで、日本人というみなしを受けようとしてきた。このとき奄美人は区別のつかない存在というより、存在を消去してきた。ところが、奄美が日本の外部として位置づけられたとき、奄美人は、バッチという印によって区別のつく存在として自己を表現した。そのとき、「『三国人』でもなく『内地人』でもない曰く言い難い第三の立場として自らの存在を衆目にさらすこと」になったとしてもそれは、日本人でもない外国人でもない第三の立場を主張したというより、日本人に組み入れえほしいという焦慮を託したのである。

そして(第二期)からは、復帰という大きな成果目標が出現することによって、出身者間ではそれまでの生活擁護と「三国人」に対する防御的な団体活動から、日本という枠内における奄美人としての位置確認作業が重要課題となっていくのである。

 その奄美人のアイデンティティ確認作業はバッチとして結晶した。印としてのバッチがあったということを、ぼくも覚えていようと思う。


「“阪神”復帰運動に至る奄美出身者の慟哭」大橋愛由等
『奄美戦後史』2


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