「二重の疎外」、メモ
以前、書いておいたメモ。アップロードしてなかったので、挙げておきます。
◇◆◇
「地勢と自然と文化の同一性の親和感から琉球を向けば政治的共同性が異なると無視され、政治的共同性の同一性から薩摩を向けば地勢と自然と文化により差別される」という「二重の疎外」の表現は情念をまとっているので、それを抜き抽象度を上げよう。
地勢と自然と文化の同一性を根拠に<琉球>を向けば
政治的共同性の差異により疎外され、
政治的共同性の同一性を根拠に<大和>を向けば
地勢と自然と文化の差異により疎外される。
ここで、<琉球>による疎外は、「無視」や「同情」として表出され、<大和(薩摩)>による疎外は、「差別」や「植民地的支配」として表出されたはずた。奄美の、琉球(沖縄)に対する断絶の強調や親和感、あるいは、大和(薩摩)に対する対立意識や、同一視あるいは支配者意識への同化など表出の態様は、それぞれの疎外のあり方への反応の態様をあらわしている。言い換えれば、現在の奄美の<琉球(沖縄)>、<大和(薩摩)>への態度の幅のなかに、疎外のあり方を推測することができる。
二重の疎外とその隠蔽は、
<大和ではない、琉球でもない。だが、大和にもなれ、琉球にもなれ>
と表現できる。
1)<大和ではない>は、反大和(薩摩)意識となって表出。反大和(薩摩)かつ親琉球(沖縄)となる場合もある。
2)<琉球でもない>は、沖縄への区別意識となって表出。
3)<大和ではない、琉球でもない>は、反薩摩かつ沖縄への区別意識となって表出
4)<大和ではない、琉球でもない。だが、大和にもなれ、琉球にもなれ>は、日本人への渇望となって表出
奄美のアイデンティティ意識は、1)~4)の幅となって現れる。
◇◆◇
今日は弟と姪っ子の誕生日。おめでとう、かずちゃん、せんりちゃん。
| 固定リンク































コメント