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2008/07/18

二七度と二七度半

 五二年九月二六日、NHKがトップニュースで「奄美諸島の返還は間近」と報じた翌日、毎日新聞が奄美諸島の返還について取り上げ、岡崎勝男外相とマーフィー駐日米国大使との会談を「北緯二七度半以北の奄美諸島の行政権を日本政府に返還するか考慮中……」と報じた。それは沖永良部と与論を切り離し、徳之島から北の奄美諸島の返還を意味していた。
 毎日新聞のこの記事を見た鹿児島市在住の奄美社社長武山宮信氏は、新聞が届かない両島の町村長などに「二島分離絶対反対大会を開いて、強く反対運動を起こすべき」と打電した。この報道は両島の住民や本土にいる出身者に大きな衝撃となった(半度の差は大きい、二七度は与論と沖縄の間、二七度半は沖永良部と徳之島の間である)。
 つまり奄美大島や徳之島などでは「日本に返せ」なのに南二島では「置いていくな、一緒に返してくれという運動であった。『奄美戦後史―揺れる奄美、変容の諸相』

 「低調で大らかな運動」が切迫したのは、沖永良部島と与論島を分離して北奄美が復帰するかもしれないという報道を耳にしてからだ。ここは何というか、現金というかちゃっかりしてるというか末っ子ぽいうかなんというか、な面も感じられるところだが、南二島のキャラクターはよく出ていると思う。

 27度と27度半の違いは、アメリカにとっては大きな意味はなかっただろうが、この二つは、前者が、沖縄と奄美を別つ境界であり、27度半が奄美のなかを別つ境界線であることが興味深い。27度半の境界線の持つ意味は、

 <北奄美> 奄美は沖縄とは違う。 
 <南奄美> 奄美は沖縄と同じだ(似ている)。 

 という違いとして現れている。これは、<琉球>と<大和>の二重性の分岐点でもあった。
 
 奄美には二重の復帰運動があったのだ。いや違う。奄美の復帰運動は、北奄美としての復帰運動と南奄美としての復帰運動の二つの加算だったと言うことができる。思うに、報道のあとに南奄美が躍起になった背景には、北奄美の南奄美への低関心もあったのではないだろうか。


「復帰運動史の中の南二島分離問題」川上忠志
『奄美戦後史』9




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