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2008/07/09

『鹿児島戦後開拓史』 3

 それほど大げさではないけれど、与論の人たちにとってふるさととは何だろうか。
 「泣きだしたくなるほど懐かしい。でも与論は心のなかに生きているのです。親せきの不幸などで向こうへ行くとホッとするより、早くわが家へ帰りたくて落ち着かないんですよ。知人も年ごとに減り、ますます〝心の島〃になるばかりです」
 与論を離れて四十三年の町さんの弁である。後を継いだ町議の有馬さんの場合、郷里にいたのは十七年間だ。田代にはその倍以上住んでいる。だから「あなたはよそからきて町議になり、えらい出世ですね」などとひやかす人には、本人はムキになってやり返すそうだ。「何をおっしゃいますか。私の田代暮らしは間もなく半世紀。もう〝地ゴロ″ですよ」

 町さんは田代に入植して自立のメドが立つと、墓から先に造った。「再び故郷には帰るまい」と誓ってのことである。満州のときも大陸に第二の与論を築く意志は固かったが、敗戦でままならなかった。町さんら移住一世はふだんは与論の方言を使う。そんな家庭に育ったので、二世たちも方言はわかる。しかし、二世は田代出身であり、与論に特別の愛着は感じない。さらに三世になると、島言葉もわからないし関心もない。
 「命がけで日本に引き揚げてきたこと、血を吐く思いで田代開拓に打ち込んできたことなどを話しても、〃それは時代がせしめたんだ″ぐらいにしか考えませんからね、若い人たちは。たまに昔話をするけど、相手にされませんなぁ」(町さん)
 ふるさとから思い浮かぶ具体的なイメージは自然、言葉(方言)、郷土芸能などである。それはそれぞれの生活体験に根ざしている。島で暮らしたことのない二世、ニ世と一世がふるさと意識を共有できないのは当然のことであろう。
 盤山の二世たちは地元の人と結ばれるケースが目立つ。(田代のなかの与論〉意識は時とともに確実に風化していく。「田代の土に骨を埋めるのだと決心した以上、それでよいのだ」としながらも、一世たちはちょっぴり寂しげでもある。(『鹿児島戦後開拓史―荒野に生きた先人たち』)

 寂しくないわけがないと思う。ぼくも以前は何とも思ってなかったはずだった。というのか、無意識にいつまでもあるものだと思っていただろうか。けれど今、「なぐりゃーや」と言ってくれるぱーぱー達や、「きちゃんむい」と言ってくれるうばたーがやがていなくなると思うとたまらなく寂しい。自分は中途半端にしか喋れなくても、与論言葉を喋れる人の輪がなくなることがあるかもしれないと思うと、たまらない。

 父も鹿児島に墓を買ってあった。それを亡くなった晩に知って心底、驚いた。与論の墓に入るものと思って疑ってなかったからだ。ぼくはどうしたらいい。そう思わずにいられなかった。

与論の人たちにとってふるさととは何だろうか。

 泣き所。ぼくにとって与論というふるさとは、もしここ以外だったら愛着ほどほどに生きられただろうにと思わせる強烈な宇宙だ。どうやったら収まりがつくのか分からない。文章にして気持ちを鎮めるので精一杯だ。


 ところでこの本を読んで、与論ゆかりの地としての田代に、いつか行ってみたいと思った。

P.S.
 昨日の地震。あんまーは、「なんともないよ、ははは」と笑っていたので、たいしたことはないと思っていたが、今日の報道を見ていると、相応に大きかったように見える。南日本新聞では、「本土に比べ観測網の密度が低い」などと、ここでもか、な文言も見られる。ともあれ、大事に至らずほっとしています。


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コメント

田代の盤山に行ったのは13年前の夏でした。時の収入役南さんとその息子の案内で深山に立ち寄りました。
その時の状況は脳裏に焼きついています。
仁義やかのサンシヌの音とともに、私の役場の執務態度の信念を思い出しました。収入役室に入る時は、いつも襟を正して入っていました。あーあ、そんな時もあったのかと・・・。 
 地震は相当大きかった。私は畑で水かけをしてましたが大地が大きく横揺れした一瞬でした。家では縦ゆれがあったとのこと、立てかけた額と鏡が割れた程度の被害で何ともなかった。昨夕、銀座通りで偶然とおりかかりNHKの取材を受けたが、危機感の匂わない話をしたので報道されなかったようだ。
 いつまでも  あると思うな 親と金
         貯めて蓄え 日照りしのぎに

投稿: awa | 2008/07/10 04:10

awaさん

行かれたことがあるんですね、盤山。ぼくはお茶をいただいたことがあるくらいです。いつか行きたいです。

地震、何事もなくてよかったです。そういえば、哲郎うじゃは、「生きた心地がしなかった」と言ってKTSに出てましたね。^^;)

投稿: 喜山 | 2008/07/10 09:25

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