こころなさの色合い
戦前の奄美群島、即ち鹿児島県大島郡は、政治的に見ると国政や県政への参加といった制度面について他の地域と同様に行われており、何ら異なることはなかったが、政治的な実態面や社会経済的な観点から見ると県内において差別的な待遇を受けていた。例えば県知事や県会議長はもとより県(庁)の出先機関として奄美群島を管轄した大島支庁の支庁長に地元出身者が就いたのは敗戦まで小林三郎と谷村秀綱のみという有様であり、一方一九四〇年まで半世紀にわたり、奄美群島を県予算において独立させ緊縮財政を余儀なくさせ続けた奄美大島「独立経済」という「切り捨て」政策を取り、産業基盤整備を不可能にし経済を大いに疲弊させた。また、県庁や大島支庁が奄美群島の政治家や住民に接する態度にはこころないものがままあったようである。『奄美戦後史―揺れる奄美、変容の諸相』
「こころないものがままあった」どころの話ではない。「県庁や大島支庁が奄美群島の政治家や住民に接する態度」は、こころなさは基本的な態度として貫徹されていたと思う。
けれどこのこころなさは、奄美を「産業基盤整備を不可能にし経済を大いに疲弊させ」ようと意図するほどの悪意ではない。奄美の疲弊は結果であって、県がもともとたくらんでいたことではない。県のこころなさは悪意ではなく、無関心というのが近いに違いない。だが、改めていえば、その無関心が疲弊を招いても構わないと見なしているという点では、未必の故意というべきものかもしれない。
いまはむしろ、差別というより無関心が克服すべき関係の実相ではないだろうか。
「奄美群島の分離による地域の政治的再編と政党」黒柳保則
『奄美戦後史』18
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