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2008/07/20

「完全復帰」から「実質復帰」へ

 分離報道の出た頃の奄美大島の日本復帰運動は、講和条約三条撤廃(三条は米国が奄美や沖縄、小笠原などの施政権を当面の間持つと定めた)を主張する「完全復帰派」と、奄美だけの日本復帰を主張する「実質復帰派」とに分かれた混迷の時期だった。
 上京した三町村長は国際情勢を肌で感じながら軍事基地を多くかかえる沖縄と一緒に復帰運動をしてはならないことを悟る。在京のリーダーたちの意見も聞き入れながら奄美だけの純粋な復帰運動を前面に押し出した「実質復帰」に傾斜した。このことは復帰論で揺れていた奄美大島の日本復帰運動の方向を「実質復帰」に結びつけていった。
 こうして講和条約三条撤廃と信託統治絶対反対をともに唱えていた沖縄と決別して、奄美は奄美諸島のみの実質復帰へと運動を転換させる役割を二島分離情報は担った。『奄美戦後史―揺れる奄美、変容の諸相』

 分離報道は、奄美のなかの沖縄である南奄美二島を、奄美のなかの奄美に塗り替える。そうすることによって、復帰運動は、奄美・沖縄・小笠原を一体に考えた完全復帰から、奄美単独の実質復帰へと傾いてゆく。この二島分離報道は、完全復帰の声が大きくなるのを嫌がったアメリカのメディア操作だとする風聞も生んだ。

 沖縄との別れの瞬間である。


「復帰運動史の中の南二島分離問題」川上忠志
『奄美戦後史』11


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