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2008/07/14

「高校再編と離島の戦略」

 ちょうど一年前、南日本新聞に掲載された「マイノリティの視線を」には、<薩摩>が<奄美>に強いた二重の疎外とその隠蔽を自らの思想に繰り込むとはどういうことなのかが具体的に提示してあって嬉しかった。ことに、鹿児島本土出身の方から生まれた言葉としてはかつてないものだと感じた。

 その書き手、山之内勉さんが、南日本新聞に「高校再編と離島の戦略」という記事を投稿している。テーマは、与論島にとって切実な与論高校存続の問題についてだ。

 高校存続問題とは、地域の歴史を守る戦いであるとして、山之内さんは高校存続運動の思想を挙げている。
 
 1.「与論高校存続運動は、未来の歴史をめぐる攻防である」

 山之内さんは廃校後を睨んだ条件闘争として、「島外へ進学する際の一般入試の免除、奨学金制度の創設、帰省旅費の支給等」を最低ラインとして挙げる。面白いのは次のアイデアで、「与論高校の『分校』を県内に展開させる」というのだ。たとえば、鹿児島工業校内に「与論高校・電子機械科分校」を置くというのである。

 ぼくが面白いと思うのは、このアイデア自体もさることながら、この根拠に、与論の島人の口之津、三池、満州、旧田代町への移住の努力の歴史を挙げていることだ。「各地にできた『与論村』は、その地の経済・文化に大きく寄与し、与論島民が島外で飛躍する新拠点となったのである」と、与論の島人の実績から導いているのだ。

 2.「与論高校存続運動は、過去の歴史をめぐる攻防である」

 与論高校の廃校は、県が設置したものを県が引き揚げる。「そう単純な話ではない」として、山之内さんは書いている。

薩摩藩に「黒糖」を奪われ、米軍統治下で「日本国民の権利」を奪われ、標準語を奨励する教師に「方言」を奪われた与論島民にとって、与論高校の廃校は、それら離島抑圧の歴史に連なる「人材育成機能」の収奪劇であり、本土の「原罪」性を示す事件なのである。  「人にかけた情けは水に流し、人から受けた情けは石に刻め」という与論の俚諺は美しい。だが、与論島民は歴史的に、本土に大きな「貸し」があることを忘れる必要はない。(「南日本新聞」)

 こう言ってもらうと、与論の人は恐縮して、ついで、そんなことを言って大丈夫かと心配する気がするが、ぼくは今回も山之内さんの理解と愛情に基づく言葉に驚いた。それと同時に、<薩摩>と<奄美>の民衆の和解と理解は難しくないと励まされる。

 「貸し」は返してもらうと言わなければならないとぼくも思う。たとえ、与論の島人にとってそれが苦手科目であったとしても、それはしなきゃいけないことだ。ぼくは、そうしたいと思っている。



 

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コメント

 クオリアさん
 
 百花繚乱、十人十色、得手勝手、人夫々・・・
異句同音、八紘一宇、十羽一絡げ、同じて和せずとか

 云い方は、パティカギリナク あるようです
「人生いろいろ」ですから、異論を唱えます

 「三代続けば 江戸っ子」という俚諺があります
「口之津、三池、満州、旧田代町」が、「与論村」だ
という表現は間違っていると思います

 その当時、与論に住めなくなった、与論の島以外に
も住めるところがあるにちがいない・・・などと心に
決めて、与論の島は「心のふるさと」であって新しい
自分たちの「ふるさと」をつくるのだ不退転の思いを
胸に秘めて島を出たはずです
もっと云えば、島を捨てたのです。私はそう思います
捨てざるをえなかったのです。ワナ ガンチムユシガ

 そこまで追いつめられていたシマンチュノアワリサ
が、「島に残るのも地獄、島を去るのも地獄」という
言葉を遺しているのかと思います

 どんなにつらくてもかえれない、かえるわけにはい
かない、そう歯をくいしばって生きてきたはずです
支えてくれたのは、島の言葉(フトゥバ)であり島唄
であったと思います

ウチジャショリ ジャショリ マクトゥウチジャシバ
ヌ バジカキュンガ ・・・ヌ パジカシャンガ

 与論高校が廃止されるのですか?
統合という県や国の都合なんでしょうか
私は、別に賛成するわけではありませんが、そうなっ
たらそれでもいいというか、しょうがないと思います

 オンリーワンは、ただの犬の鳴き声なんでしょうか
もしかして、"Only one!"だと格好をつけた・・・?
本気で、町立与論高校かはたまた私立与論高校を作れ
ばいいんじゃないでしょうか
与論の島を好きな人が応援してくれるはずです
”オンリー ワンッ!”と吼えたたのか、ささやいた
のかは別にして、自分たちでしかできないことをして
みようと思ったんじゃないのでしょうか

 クオリアさんが教員資格をもっているのであれば、
最初に駆けつけてくれるでしょう
私には資格がないので、遊び時間の特別講師によんで
下さればうれしいです
もちろん、少しですがお土産持参をして講師料はただ
どころか礼金をつつませていただきます

 ナマジラ(冗談)にしては、真剣すぎますね


投稿: サッちゃん | 2008/07/14 23:40

サッちゃんさん

与論を出ることと残ることの振幅は大きいですね。この振幅に負けそうになると、先人はどうやって生きてきたのだろうと尋ねたくなります。

「どんなにつらくてもかえれない、かえるわけにはい
かない、そう歯をくいしばって生きてきたはずです」

そういうことなんだなと思いました。

投稿: 喜山 | 2008/07/15 07:30

クオリアさん、初めまして。
さすが情報が早いですね。
私も昨夕配達された新聞で読みました。
前回の記事も今回の記事も
こんなに島のことを考えてくれる人が
教育界にいることを喜びました。
同じ城集落ですので大体の人となりは
わかっていましたが・・・。
(しかも私と同じ薩摩川内市出身)
与論高校の存続は大事です。
主人(島んちゅ)は高校一年時に退学して
鹿児島の高校に再入学、子供達も
中学までは与論でしたが、高校から
鹿児島へ、私は川内ですから
与論高校とのつながりが少ないですが、
この島の子供たちが成長する過程において
この島で育つということが、どんなに
大切であるかを忘れがちではないでしょうか?
「ご先祖様が神様」=年長者崇拝の精神で
日々の生活をしている人々にとって、
自分の命のあることへの感謝の気持ちを
持ち続けることを自然と会得して、
そのすばらしい環境でのびのびと勉強できる
幸せを島民が実感して、島外にアピールできれば
前回の山之内先生の「鹿児島大学付属高校化」も
実現できるのではないかと思います。
クオリアさんのように外から熱く島を思う人が
いるのに、内から大きく語る人が少ないのが
残念です。
子供達の故郷は私にとっても故郷です。
いいところ悪いところ全部ひっくるめて
与論にいらした人には好きになってほしいです。

投稿: achanthanks | 2008/07/15 09:46

創立40周年記念で存続に向けて語った情熱は何処へ隠されているのだろうか・・・。恩師と50周記念を約束しているので、もっと真剣に取り組みたいものだが。
 山之内先生を交えて窪舎会で意見交換会を持ったりして、教育委員を交えて意見を交わし、町としても真剣に取り組んで欲しいものだ。
 企業誘致の成功で浮かれている場合ではない。
「おんりーわん」と吼えたときから、試練を覚悟しているはずなのに・・、甘いと思う。
 自己反省も含めて。
与論中学校第20回卒業生よ、立ち上がりましょう。

投稿: awa | 2008/07/15 21:41

> achanthanksさん

ありがとうございます。
前にもコメントくださったこと、ありますよね?
achanthanksさんの想い、ありがたく思います。

> 子供達の故郷は私にとっても故郷です。
> いいところ悪いところ全部ひっくるめて
> 与論にいらした人には好きになってほしいです。

お気持ち嬉しいです。「のびのびと勉強できる」っていいですよね。


> awaさん

「おんりーわん」の島の「おんりーわん」の高校。それって何でしょうね。いっぱいアイデアは出そうです。

投稿: 喜山 | 2008/07/16 10:28

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