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2008/07/15

自失の完成としての日本復帰

 こうして見てくると、この八年間で、奄美出身者の間で、自己を規定する位相が変化しているのが分かる。敗戦直後は、(奄美(人))であるとの自覚が「三国人」を忌避する形で明確に打ち出され、郷土会が乱立して飽和状態になった時は、奄美・沖縄双方から両者を包含する「南西諸島」に対して距離感を置き、奄美側が選択した祖国復帰という日本に対する求心力の強弱によって、沖縄側からの共闘申し入れを拒否するという態度が表明された。そして復帰運動の高揚は、「旧鹿児島県大島部」の原状回復という現実的な選択をすることで、自分たちが「鹿児島」のカテゴリーの中に位置づけられることを自ら欲したのである。また「もうひとつの復帰運動」である「二島分離反対運動」では、再び「奄美とは一体どこなのか」という根元的な問いが、奄美出身者に課せられるようになるのである。考えてみると、奄美は常に 〝大きな他者″と出会うことで、転位を繰り返し変容しながらも、(奄美という記憶)を紡ぎ続けているような気がする。それは「奄美の復帰遊動はわれわれが潜在的なエネルギーでかち取ったのだし、いつでも、あれだけの力、エネルギーは発揮できるんだということを再確認して復帰連動を振り返りながら、将来ともこの力(奄美魂)を堅持できるように、勇気と誇りを持って二世三世にうけついでもらいたい」(平豊)といった自己充足した言説が再生産されていくことを意味するのかも知れない。『奄美戦後史―揺れる奄美、変容の諸相』


 ぼくは奄美人の端くれとして、この自己評価をそのままでは継承することはできない。99.8%の同意なんてまるで全体主義体制化の民意で、あまりに内省がない。この、日本人への総雪崩に対して、ぼくは喉元まで「情けない」という声をせりあがってくるのをどうしようもない。

 けれどそれでは奄美人の奄美評価としてはつれなすぎるというものだ。奄美の復帰運動は、二重の疎外の行き場のない構造が突き詰められ、他者を省みる余裕もないまでに追い詰められたものである。復帰は、自己回復ではなく、1609年以来の失語がさらに強化され、自失として完成したのである。奄美は自分たちの存在の維持するために日本を選択したのである。そう理解する他ない。

 そのやむなさを認めると、やはり解消されていない二重の疎外の構造が残ったというのも確かなことに思える。


 
「“阪神”復帰運動に至る奄美出身者の慟哭」大橋愛由等
『奄美戦後史』5



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