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2008/07/04

ユンヌヤユンヌデール

 奄美のことばかり書いていると、島の人から、ユンヌヤユンヌデールと言われる。

 ユンヌヤユンヌデール。

 改めて見るとおまじないの言葉みたいだが、「与論は与論である」という意味だ。こう言いたい気持ちはよく分かる。それはぼく自身の言葉でもあるからだ。

 「奄美」と言っても、それが日常的に交わされる言葉のなかで登場することはほとんどない。喜界から与論までを総称していう言葉としてぼくは使っているのだけれど、奄美が日常的に使われないのは、喜界から与論までの共同性が希薄だからだ。行政区は存在するけれど、それだって呼称は「大島郡」なのだ(そういえば、どうして奄美郡ではなくて大島郡なんだろう)、ますます「奄美」は使われない。奄美大島のことだって、「大島」と呼んでいるのだから。また、大島の人が「奄美」と言う場合も大抵は、奄美大島のことを指している。「奄美」なんて、実はないのだ。

 「奄美」と書けば、その共同性への反作用のように、「島は島だ(ユンヌヤユンヌデール)」という言葉を呼ばずにいない。そしてそれはユンヌに限ったことではなく、エラブはエラブの、トゥクはトゥクの、ユルはユルの、ウキはウキの、キキャはキキャの、ウウシマはウウシマの言い方で、「島は島だ」という言葉を引き寄せているに違いない。いや、与論はユンヌでひとまず終点と言ってよいが、与論より大きい島は、島名では大き過ぎて、シマ(集落)を最終単位にして言うはずである。

 「シマはシマだ」。そういう反作用が産まれるのはよいことだと思う。というか、それこそは奄美はだと思う。奄美は、奄美という共同性を生まなかった。しかし、島人は帰る場所を持ってきた。シマ(島)は枯渇しなかったからこそ、「シマはシマだ(島は島だ)」と言うことができる。

 「シマはシマだ(島は島だ)」。逆説的だけれど、それが基底のリアリティとしてあるのが、奄美なのだ。



 

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コメント

賛同します。

ワヌヤ わぬでーる。
 
 自信をもって 個性をだした生き方をしたい。

兄弟島心もて・・・、  個性を持って
       奄美全体の方向性を探る時が来ている。

 いちょーき未来長浜(仮称)に 蝶などの 虫たちの戯れる
      森を再生しよう。
        継続事業として「財団法人自然公園財団」
から 公益信託自然保護ボランティアファンド活動助成金
 をいただけるなら、3年から5年では実現できる。
自然を育てる事業は 金額を少なくして継続事業として取り組むのがいいと思って、来年ももらえるよう努めたい。
 島に自生している植物を育苗して準備を始めています。

投稿: awa | 2008/07/05 05:02

awaさん

「兄弟島心」も、「虫たちの戯れる森」もいいですね。奄美で共有できるビジョンがあれば、広がりのある天気ができるはずです。

継続事業、応援します。

投稿: 喜山 | 2008/07/06 21:30

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