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2008/06/25

「民俗文化、その記述をめぐって」

 既刊の記述内容から読みとれる目的として、茅葺き屋根の頃の、消えつつある暮らしの記録、あるいは伝承世界の再構築に主眼がおかれていることはわかるのだが、危惧感を覚える。
 こうしたことを、市町村誌に共通する記述の理想として今後も持ち続けたならば、十年単位の間隔で改訂版の刊行が遵良く繰り誉れたとしても、民俗文化の記述は衰弱化するであろう。古き奄美の暮らしを記そうとすればするほど、伝承と経験から記述を進めている民俗文化の情報量は圧倒的に制限されてくることは想像に難くない。

 極端に言いかえてみよう。既刊の市町村誌の記述は、いわば百年近く前の暮らしを再現した記述が中心である。では、百年後(=〇〇年)に再び二百年前の暮らしを追い求めて記述するのか、その百年後(つまり現在)は記述されなくてもよいのか、と間いたいのである。
 既刊の記述を全面否定して異論を唱えているわけではない。これまでの記述目的に加えて、現在を意識した民俗の動態を見つめる眼差しを望んでいるのである。「伝統」的な事象の古形を求めつづけ、郷愁やルーツ論に資する記述のみが、民俗文化の記述の全てではなかろう。(『それぞれの奄美論・50』

 町さんの文章を読んで、奄美も都市化したのだなとつくづく思った。現在の市町村誌が民俗学的視点に貫かれているのに対し、町さんは変化する街を記述する風俗学の視点の必要性を訴えている。ぼくはふいを突かれるように、奄美風俗学の必要性を考える前に、風俗学へのニーズが浮上する奄美の都市化という事態に目を見張る。

 奄美がその豊富な民俗を記述し終わらないうちに、変化を記述する風俗の視線が要請されてきた。要は民俗が瀕死に追い詰められているということだ。沖縄、特に那覇はその世界を既に走っている。彼らの風俗の記述から学ぶこと真似てはいけないこと、そんな配慮が奄美にも既に必要なのかもしれない。元ちとせや中孝介が、表現として「還る」という課題を既に持っているように。


「民俗文化、その記述をめぐって」町健次郎


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