奄美にとって1609年とは何か
29日のパネルディスカッション用のレジュメです。メモなので舌足らず、あしからず。
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“失語の民”- なぜこれほど失語しているのか?
1609年 - 失語、自失の起点
1.二重の疎外
<大和ではない、琉球でもない>
・「地勢と自然と文化の同一性から<琉球>を向けば政治的共同性が異なると疎外され、
政治的共同性の同一性から<大和>を向けば地勢と自然と文化が異なると疎外される。」
・出自を明かさない。さもなければ、「奄美は沖縄?」と聞かれると「鹿児島県」と主張する。あるいは「奄美は鹿児島?」と聞かれると「文化は琉球」と主張する。失語でなければ主張という自認の形をとらざるをえない。この幅。
2.その隠蔽
<大和ではない、琉球でもない。だが、大和にもなれ、琉球にもなれ>
・自己を消去することによってしか対応できない。
・「日本人」という脱出口への総雪崩。「方言撲滅運動」、「日本復帰運動」。
・島尾敏雄の「奄美の人々は、長いあいだ自分たちの島が値打ちのない島だと思いこむことになれてきた」という言葉の意味。
「二重の疎外とその隠蔽」を解くには。
関係から生まれたものは関係で解くしかない。<薩摩>と<沖縄>の二者との対話。
対<薩摩>
植民地化
・砂糖島としての収奪
・二重の疎外とその隠蔽の強要
薩摩の思想への繰り込みの要請
「ふるさと納税窓口一本化」 ・終わらない植民地発想
「アイヌ先住民族認定」 ・単一民族幻想の終わり
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コメント
興味ある レジュメですね。
与論島のなかで こんな内容の意見をきかせてもらえる人がいたらいいのに・・・。
これを読んで、誰かのってこないかなー。
投稿: awa | 2008/06/27 22:22
awaさん
この手の話題の話し相手にぼくも飢えています。
島で語り合いたいですね。
投稿: 喜山 | 2008/06/28 09:56