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2008/06/10

「鏡としての風景」

 珊瑚礁の海に典型的な奄美の「原風景」と「消波ブロックとコンクリートの壁」などの奄美の「現風景」との距離を起点に別府さんは考えている。

 カメラで「手つかずの自然」という理想を追うとき、油断するとたちまち不粋な人工物が映りこんでしまう。慎重に選んだはずの遠景でも、再生すると削り取られた赤い山肌やコンクリートの法面が画面を台無しにしているなど、現実は見たくない風景が充満している。車のあまり通わない農道・林道まで舗装が行き届き、海辺の集落では巨大な漁港とコンクリート護岸が威容を誇っている。(私の知る限り、瀬戸内町義徳が大島では貴重な例外。広大な砂浜と集落の境界をなすアダン林が相を波風から護っている。また、同町油井の、潮の干満に応じて上下する小規模な浮き桟橋は「自然にやさしく」、もつと各地で導入されていたらと悔やまれる)。中央的手法「奄振」にょる列島改造はピークは過ぎたとはいえいまだ進行中である。こうしたインフラ整備により農業、林業、漁業がどれだけ振興し、若者の職場が確保され、過疎がくい止められただろうか。(『それぞれの奄美論・50』

 撮影素人のぼくも与論を撮ろうとすると、自然に人工物を避けて撮ろうとしている。すると撮る範囲がかなり限定されるのに困ったりする。そのうちありのままの与論を受け容れてないのではないかと反省したりして。この「原」風景と「現」風景の距離はどう縮めていけばいいのだろうか。

新世紀、私たちは魅力ある風景を創造できるだろうか。

 別府さんは別の応え方をしている。現風景を原風景に近づける。そういうのではなく、魅力ある風景をつくるということ。これは元気の出る提言ではないだろうか。



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