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2008/06/12

奄美の家の輪

 ゆうべは、水戸の物産展を終えて戻ってきた泥染めの山元職人「奄美の家」で合流した。「奄美の泥遊び」の山川さんとソプラノ歌手の萩原さんと山元姉さんとで、泥Tプロジェクトを進めている久米さんを囲んだのだが、そもそもは職人が泥Tのサンプル納品のその場で久米さんを飲みに誘って実現した場。ぼくにはできない、愛されキャラならではの芸当だった。

 水戸のお客さんは農家の方が多く、泥染め?泥ならまわりに一杯ある、それがどうした的な反応で泥Tの何たるかを伝えるのが難しかったという職人の話を皮切りに、山川さんや萩原さんやぼくは、かわるがわる、久米さんに大島紬や奄美のことをああだこうだ、伝えようと熱心だった。

 ところが奄美つながりは面白い。三線を持った唄者がいつの間にか二人も輪の中に加わっていた。一人は加計呂麻島出身の徳原さんで、もうお一人は、星川さんなのだが、この方、千葉の方でここ数年、奄美の島唄にはまって三線を練習中。しかも、奄美にはまだ行ったことがないというのだ。ありがたい方である。

 こうなるともう奄美談義は終了、場は唄のかけあいに。若き唄者、徳原さんの三線と唄を中心に、職人も声や太鼓を合わせ、みんなも歌い、萩原さんまで歌ってくれ、盛り上がり、なんとも贅沢な場になった。よく知られた沖縄歌謡になると、久米さんも、ぼくも知っていると最後まで付き合ってくださった。

 いやよかった。久米さんは「こんな世界があるなら子どもはぐれようがないですね」とおっしゃっていたが、分かる気がした。酒は中学から飲むものです、なんていう話と一緒だったので、おかしかったが。思えばぼくも、だんだん奄美の島唄に馴染んできた。これまでは、なんて哀しいとばかり感じてきたが、それは入口の印象であって、その奥には与論と変わらない島のあたたかい世界があるのが分かってきた。これは嬉しい体感だ。いつかこの輪を、ぼくの子どもたちにも味わわせたいなと思った。

 ぼくにとってはもうひとつ嬉しい出会いがあって、なんと与論島に二十年も通ってらっしゃるという勝司さんにお会いできた。南海荘を拠点に島をめぐっているそうだ。聞けば、東京から船で48時間かけて行くコースも何度もされているそうだが、空路のときもいちばん高くつくサンゴ祭りの時に行くそう。と、いうことは茶花の海岸に一緒にいたこともあるわけで、懐かしい話をひとしきりできた。島に想いを寄せてくださる方の話が聞けるのは嬉しい。また、奄美の家でお会いしたいものだ。

 広がる奄美の輪、な夜。締めくくりは徳原さん、星川さんとホームで別れる場面で、ぼくたちを見送る彼らを見て、「島の子はああやって見送ってくれるんだよねえ」としみじみと山川さんがおっしゃって、ジンと来た。いい夜だった。


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