「奄美との出会い」
油をしいたような海面に、船ばたにぶつかる椎の音と水の流れる音だけが聞こえた。
少女は標準語を使わなかった。ときたま思い出したように短く私に話しかけてきたが、純粋の方言であったから、私にはほとんど理解不能の言葉であった。私は大阪弁丸出しであった。少女はまた私の大阪弁が理解できないというふうであった。
目的の釣り場所は集落の近くにあった。伯父は舟の上でヤドカリを殻ごと叩きつぶし、釣り針に引っかけると釣り糸を小石にぐるぐる巻きにして船ばたから海中に放り込んだ。
海面を、桶に取り付けたガラスを通してのぞき込むと、透明な水の底に色とりどりの魚がちいさく群れているのが見える。小石はくるくるまわりながら魚の群れをめがけて落ちていく。魚と触れあうころを見計らったように小石が釣り糸から離れていくと、周囲の魚が興味をみせて寄り集まってくる。魚が釣り針のヤドカリをついばむタ イミングにあわせて伯父は釣り上げる。
伯父はつぎつぎと釣り上げた。魚がえさに食いつくのを見ながら釣るのだから、こんな簡単なことはないと思った。(『それぞれの奄美論・50』)
澤さんによれば、昭和39、1964年、加計呂麻島へ向かうときの光景だ。
釣りは魚との対話だとすれば、琉球弧での対話は釣り糸を通じて存在を確かめるものではなく、魚はそこに見えるから魚の口元と直接、話しているようなものだ。
ここでは魚との対話より人間同士の対話のほうが難しいもののように見えている。澤さんは、1964年からの歳月のうちに、「あのゆたかで美しかった白浜が、やせ細った、うすっぺらなものになってしまった。海岸沿いに棲む魚は激減した。」と、加計呂麻島の海を嘆くのだが、ひょっとしたら、「やせ細った、うすっぺらなものになってしまった」のは海以上に方言だったかもしれない。そしてそっちのほうが自然より取り戻すのは難しいかもしれない。
そこで言わなくてはならない。リメンバー・アマミ、奄美を思い出せ。それが新しい世紀の合言葉だ。
「奄美との出会い」澤佳男
| 固定リンク
« 「周縁こそ最先端」 | トップページ | 父の一年祭 »
この記事へのコメントは終了しました。




































コメント