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2008/06/18

「島唄アレンジの現場にて」

 ある夜、孝介が、文紀とイジチに伴われて「かずみ」(島唄と烏料理の店)を出てきた。二十歳の若手ウタシャのホープ孝介。今や、二年上の康男と並び、島唄スター。三人は、近くの喫茶店「樹乃」でテーブルを囲む。ヨーロッパから来たクラシック音楽と、アフリカからアメリカへ入って完成したジャズと、島唄とが出会っている! それも奄美で。この三人の、この場は、この「国境撤廃」は、世界の音楽史の必然的方向性の縮図で、ここで起こっていることは世界で起こっていることだ、と力説するィジチ。強調の相の手を入れる文紀。二枚のCDアレンジの限界を共通して越えるには、クラシック・ポピュラー・島唄と三つの畑にまたがれるウタシャとの共演が必要だった。孝介は最適だった。孝介も新しい可能性への挑戦に一致してきた。音楽に国境はあるけれど、超越することも撤廃することもできるのだと力説するイジチ。そして、可能な限り忠実に踏襲するべき「伝統」と日々生まれ変わる「革新」とはひとつのものだと力説するイジチ。でも、自分が喜び生きる島の音だから、それを愛し、奏でるのは、自然な生活の行為なのだと結論するイジチ。さらに、ヤマトの人に安易に触れられたくない「島の想い」を私だって持ってるのよ、とイジチ。静かな興奮が三人を包んでいる。(『それぞれの奄美論・50』

 ここにいう孝介は中孝介のことだ。元ちとせ以降の奄美の島唄はみんなが知っていて、かつみんなが歌えるという水準を獲取した。それは奄美の表現にとって初めてのことだった。いやひょっとしたらヤコウガイの流行以来のことかもしれなかった。いやもっと遡れば、三母音を本州島に流行させて以来かもしれなかった。

 けれど奄美にとって相当困難な達成を果たしたということは、いままでには無かった課題を引き受けるということでもある。それは、帰れるかどうか、ということだ。仕事が忙しく奄美になかなか帰れなくなるという意味ではない。表現として帰れるかどうか、ということだ。自分の本来的な表現の場を保てるかどうかということだ。

 吉本隆明に教わってきたことだが、資本主義は往く(行く)道は助けてくれる。つまり良い表現をすればそれをさら大きな場で提供できるように助けてくれる。それは否定すべきことではない。課題はその次に来る。つまり、資本主義は往く(行く)道は助けてくれるけど、還る(帰る)道は助けてくれない。そして往く(行く)道に歩みを進めた者にとって還る(帰る)ことは難しくなる。だから、往き(行き)っぱなしで還れ(帰れ)なくなってしまう表現者が多い。自分にとっての本来の表現の場所、還る(帰る)場所は自分で確保しなければならないのだ。

 奄美の表現も、それを課題にする段階に入った。奄美大島のあの森の呪力を失わない、そういう場所を、往く(行く)道でのある達成を果たした表現者には期待したい。


「島唄アレンジの現場にて」伊地知元子




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