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2008/06/22

父の一年祭

 二十人以上集まるなんて今は滅多にないですよ。帰り際、神主さんがおっしゃった。多い少ないは分からなかった。あまり負担はかけられないからと、鹿児島に来れる父のぱらじに声をかけさせてもらった結果だった。

 父が逝って一年経とうとしているのだが、つい先日、百日祭を行ったようにしか思えない。集った人もその時一緒だったのだからなおさらそうだ。万事においてこだわりがなく控えめな人だったが逝くときもそうだったので、いるといないの区別があまりつかない。長い隠れんぼに興じてなかなかみつけてくれないと待っているんじゃないか。父の姉妹のあんにゃーたーを案内しているとそんな気がしてきた。いるような気がする。うじゃたーも口々にそう話していた。

 これが偲ぶということこれが供養ということ。そう言ってしまえばその通りなのだけれど、父がいないのに父をよく知る人たちとむぬがったいしながら思うのは、寂しいからだということだ。父がいないのがさびしいから集う機会を作っているのではないか。さびしいから親しい人が集まって話すことにしているのではないか。こう思うのはぼくの年齢のせいではなく、ぼくが今まで、寂しいという思いの切実さに気づかない出来損ないだったからという気がしてくる。

 どうしてあなたはそんなに与論か好きなの? 従姉のあんにゃーに尋ねられてあれこれ答えるものの、とどのつまり好きというより、このまま遠くにいて島を失ってしまうのが寂しいからじゃないか。最近奄美にこだわっているのも、忘れられた土地のまま奄美が失われてしまうのが寂しいからじゃないか。ブログに書くのなんか、その最たるものだと、そんな気がしてくる。先日、喜界島の方が、島に戻ると二三日で飽きるが、飛行機で羽田が見えると、ああまたここかとため息が出てくると話していたが、ぼくもいまそんな味気なさのなかでこれを書いている。

 久しぶりに会った姪たち。上の子が人見知りの激しい下の子の髪を結んであげていた。こんな場面こそかけがえない。というよりこんな場面こそ作ってあげなきゃいけない。それ以上のことってないのかもしれない。そう思った。

Mei_2











 一年祭。父だったらこういう時なんと言うだろう。最近よくそんなふうに考える。父の書斎から、比嘉康雄の『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』、エリザベス キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間―死とその過程について』、『死、それは成長の最終段階―続 死ぬ瞬間』、酒井正子の『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』を拝借してきた。



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コメント

月日の経つのは、早いものですね。
50日の祭りを終えて、やっと落ち着きをとりもどしております。どこからともなく、父が ふー・・・と
現れてくるような思いが今でも時々します。
 古い言葉でしょうがないですが、家長としての責任を自覚すべきときを感じています。
 アルコールから逃げることにして、やっと20日がすぎ、1け月をまず達成できれば、次の目標を1年続けてみます。
農作業も楽しくて、パーマカルチャーも順調に進めています。オオゴマダラの再生にもほぼ成功したようで、町内のあちこちから見かけたの情報があり、NPOの活動もやや軌道に乗ってきたように思います。
 7月からホームページを立ち上げて、ボツボツと観察記録をとろうと思っています。
 応援  よろしくお願いいたします。

投稿: awamorikubo | 2008/06/22 21:51

awamorikuboさん

首を長くしてお待ちしていました。お元気そうで何よりです。

オオゴマダラの復活、嬉しいです。本当にありがとうございます。与論に行く人たちに、探してみてと言えます。

ブログの次はホームページ、すごいですね。応援しています。ブログの更新も楽しみです。

うれーがかきばどぅみじらしゃる。

投稿: 喜山 | 2008/06/23 09:22

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