「『てげてげ』の先にあるもの」
与論島に通い詰めているジャーナリスト、吉岡忍さんが『路上のおとぎ話』という本の中で、焼酎の杯をみんなで回して飲み干す「与論献奉」について触れ、「人生、投げたっていいんだよなあ」という気持ちを抱いたことを書いている。まさしく、これだ、という感じだ。吉岡さんが書くように、これは「投げやり」ということとは全く違って、人生に対する、本土でのこわばった、凝り固まった感覚から解き放たれる思い、ということなのだ。「良いてげてげ」の極致と言えるかもしれない。
さて、新世紀である。新世紀の奄美。ここはやはり、「てげてげ」を良い方向に伸ばしてほしい。よそ者の私としては、そう願うばかりである。大げさに聞こえるかもしれないが、どうにもこうにも動きが取れなくなってきた日本の政治・経済・社会のシステムを揺り動かすには、「てげてげ」しかないのではないか。「てげてげ」は、こわれやすい(フラジャイル)、いわば「揺らぎ」の状態である。だからこそ、その延長線上にあるであろうものに私は期待する。(『それぞれの奄美論・50』)
こう書かれると、「与論献奉」も悪いもんじゃないと思ってしまいそうになる。
でも、「人生、投げたっていいんだよなあ」という感覚は分かる、と思う。唐牛健太郎もそんな気分で与論島に滞在したろうか。それは隠者の心持ちに似ている。
この気分はぼくたちのなかにもあると思う。それが、「人生に対する」「こわばった、凝り固まった感覚」を相対化させてもくれるし、それが本土での生き難さのもとになったりもする。
でもフラジャイルではあろうが、なかなかどうして、しぶとくもあるたくましさもあると思う。
「『てげてげ』の先にあるもの」神谷裕司
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