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2008/06/09

「歩み続ける奄美考古学」

 国指定の宇宿貝塚をはじめ、宇宿小学校構内遺跡、宇宿高又遺跡、長浜金久遺跡、マツノト遺跡など笠利町東海岸を中心にかなりの遺跡が発見され、発掘調査が行われている。もちろんその成果のもと笠利町以外でもここ数年来大きな発見が相次いでいる。龍郷町手広遺跡、ウフタ遺跡、名瀬市ではグスクの分布調査や小湊フワカネク遺跡。住用村グスク分布、サモト遺跡、そして類須恵器などの発見も大きい。宇検村は遺跡分布調査、そして日本中から注目された倉木崎海底遺跡の成果が大きい。瀬戸内町嘉徳遺跡などは奄美の土器編年の基礎資料にもなっている。もちろん徳之島、沖永良部島、与論島、喜界島などもある。

 ゆっくりと確実な一歩ではあるがこのように大きな成果を上げつつある。これは地元研究家たちだけによるものではなく沖縄、九州本土、大和の方々の力をかりて進められているのが現状である。奄美考古学はこのように多くの研究者や大学の調査の成朱に基礎をおくものだが、この先は奄美のものたち自らがすべてを担当せねばならない。それは本土や沖縄に対比して判断するのではなく、奄美の成果を持って従来の所見を前進させてはじめて正しい視点が得られるものと考える。

 間もなく二十一世紀を迎える。雑踏から逃がれ、一日、森の中に我が身を置いて、奄美考古学にまつわることをいろいろ空想し、回顧してみた。奄美考古学は、もうすでに第二ラウンドに入っているということだ。(『それぞれの奄美論・50』

 与論のように奄美のなかで触れられるか触れられないかのボーダーラインにいると、「徳之島、沖永良部島、与論島、喜界島など」と一瞥されるだけでも嬉しいものだ。「本土や沖縄に対比して判断するのではなく、奄美の成果を持って従来の所見を前進させてはじめて正しい視点が得られる」という立言もいい。そうこなくっちゃ、である。

 でも何より、「一日、森の中に我が身を置いて」。これがいちばんの贅沢だと思う。


「歩み続ける奄美考古学」中山清美



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