「奄美に暮らす」
加計呂麻バスツアー
今年八月、明治生まれの母が逝った。長期の在宅介護だったので、十月のある日、友人たちが「お疲れさま」と、バスツアーをプレゼントしてくれた。加計呂麻を訪ねて、諸鈍シバヤを見るという日帰りのツアーだった。
二十年ほど前、諸鈍シバヤを見に行ったことがあったが、久しぶりの加計呂麻だった。以前より諸鈍のデイゴの木がやせ細った感がしたが、諸鈍シバヤは変わっていなかった。演目も装束もカビディラも。単純で素朴なものほど、昔の古い型が残されているように思う。伝承を考えると子どもたちの参加は嬉しかった。
加計呂麻までの遠い道程も、島のことをよく勉強しているバスガイドの案内で、時間のすぎるのが早かった。島に住む人に、島のことをよく知ってもらいたいと企画したということを聞いて、私たちは感激した。(『それぞれの奄美論・50』)
このエッセイのタイトルは、「奄美で暮らす」。これからも島人が奄美で暮らすための条件は何だろう。最低限言えるのは、自活できる産業を内在化することだ。
現状のまま開発を続けていったら開発する余地が無くなった時点で住めなくなる。開発する理由が、「自然では食えない」、「珊瑚礁では食えない」ということだとしたら、「自然で食える」、「珊瑚礁で食える」という状況を作り出す必要がある。そして確かに奄美の可能性ある資源は、森と珊瑚礁だと思える。
・島の訪問者への治癒力を維持するだけの珊瑚礁と森を確保する。
・本土の資本で事業を行わない。
・集客と交流に最大限、インターネットを活用する。
・島を開発しない第三次、第四次産業を育成する。
・島の特産物をもとにした地域ブランドを数多くつくる。
拙いけれどこんな発想をしていると、ぼくは「産む島・帰る島・逝く島」はどうだろうとまた思い出すのでした。
「奄美で暮らす」泉和子
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