« Hizukiさんの「与論小唄」 | トップページ | 「周縁こそ最先端」 »

2008/06/19

「情報量八面の限界性」

これまで、南海日日と大島の両紙は、互いに競い合って紙面を充実し、住民の知る権利に応えてきた。しかし、その競争も、購読料、一月一八三五円、一七五〇円という現実的な制約の中で、白紙のカラーをきわだった違いとして紙面に反映させることは難しかったように思える。何にもまして、喜界島、与論島に常駐の記者が同様にいないことは地元紙として致命的であり、地元紙と全国紙の二紙購読を経済的に負担できない一般的購読者にとって、紙面八面の情報量は少なすぎる。
 企業の統合合併が世界的な規模で行われている。ディズニー文化が示すように、資本は力であり文化でもある。そんな時代だからこそ、奄美が奄美で在り続けるために、地元紙により力強い発信力を期待する。

 新世紀の社会的要請に、地元紙二紙はどう応えていくのだろう。広告・購読料金の問題や奄美全体の購読者数の問題もあり、それを現在の二紙体制で実現するのは、極めて困難に思える。それならば思いきって両紙が現在の取材力を維持したまま統合し、一たす一を三として機能強化と紙面の充実をはかることは非現実的なことであろうか。

 社会の健全な発展には健全で力強いジャーナリズムが不可欠である。地元紙がもっと多岐・多彩・多様な記事や論評を多数である六割の読者に伝えること。そしてその六割がもっと広く高い視点から奄美と世界を見つめること。時間はかかるが、そこからしか奄美の二十一世紀は始まり得ないであろう。(『それぞれの奄美論・50』

 奄美の21世紀は、ネットの市民ジャーナリズムから始まる、としたらどうだろうか。
 市民が記者でありネットを通じてリアルタイムに島つながりの出来事を投稿する。メディアとしての新聞社は、ネットのニュースのエッセンスを集約して紙として配布する。その際、採用された記事の市民に対していくばくかの報酬を支払う。いくばくかでいい。紙面の記事は、ネットのブログやホームページのURLにリンクして、より詳細を知りたい場合や議論をしたい場合はネットで行う。メディアとしての新聞社の役割はネットのニュースの抽出と編集になる。もちろん新聞社の記者自身もプロの市民ジャーナリストとしてネットにニュースを配信している。

 新聞社は取材力を維持するのではなく、ある部分を市民に委託し編集力を維持するのだ。どうだろう。


「情報量八面の限界性」得本拓


|

« Hizukiさんの「与論小唄」 | トップページ | 「周縁こそ最先端」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/41495670

この記事へのトラックバック一覧です: 「情報量八面の限界性」:

« Hizukiさんの「与論小唄」 | トップページ | 「周縁こそ最先端」 »