« 「民俗文化、その記述をめぐって」 | トップページ | いらっしゃいませ! »

2008/06/26

1609年との糸電話

 29日のパネルディスカッションのテーマで、「アイヌ・奄美・沖縄―まつろわぬ民たちの系譜」と投げかけに対して応答した千字の挨拶文です。

◇◆◇

1609年との糸電話-「まつろわぬ民の系譜」と投げかけられて

 来年は何の年かと聞かれたら、「皆既日食」と奄美の多くの人は答えるのではないだろうか。日食の舞台となる喜界島や奄美大島の若い世代では特にそうだろう。ぼくは、来年を「皆既日食」と答える事態をまずは歓迎したいと思う。これがもし「皆既日食」ではなく「1609年」を真っ先に想起するとしたら、それは奄美の不幸が永続化していることを意味するだろうからである。1609年より皆既日食。それだけ奄美は豊かになった。

 ただ、それで話は終わらない。ひょっとしたら「1609年より皆既日食」を想起するのではなく、「1609年」を想起できないのが実態かもしれない。もしそうならそれは1609年が過去になりつつあるという以上に、1609年のことが伝えられていないからだ。というのも奄美では、1609年より1600年の方がよく知られている。前者が奄美史で後者が日本史だからだ。なぜ、身近な奄美史より日本史の方が詳しいのか。それは、奄美の島人が奄美自身を捨てることによって困難を克服しようとしてきたからに他ならない。想起される皆既日食と想起されない1609年。このことはつまり、奄美の困難への対処法が完遂されつつあることを意味しているのである。

 だが言うまでもなく、自己喪失は克服とは似ても似つかない。だから奄美の自失という事態にはまつろわぬがよいのだ。実のところ奄美の島人はこれまでまつろわぬ民であり続けてきたわけではなく、奄美という存在がまつろわぬ可能性を保持してきたというのが正確だ。この意味で奄美の自失はその可能性の消滅を意味しており、ぼくたちはせめてここでは、まつろわぬ民でありたいと思う。

 そこで奄美の自己喪失の源を尋ねれば、すぐに1609年に突き当たるだろう。1609年こそは、奄美の自失の起点である。そしてそう認めるとき、1609年と今との間にピンと糸電話が張られる。糸電話に耳を澄ませば、今でも当時の島人の声が聞こえてくるようだ。ぼくたちはこのとき奄美の四百年を深呼吸する。しかしそれは何と贅沢なことだろう。1600年のことは知識としてしか反芻できないが、1609年のことは、今につながることとしてありありと感じることができる。

 ここでぼくたちは、四百年の深呼吸を頼りに、奄美を捨てるのではなく、かばいながら克服する方へ選択し直さなければならない。そのためにはまず、奄美が受けた困難の固有の構造が明らかにされなければならないのである。




|

« 「民俗文化、その記述をめぐって」 | トップページ | いらっしゃいませ! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/41652557

この記事へのトラックバック一覧です: 1609年との糸電話:

« 「民俗文化、その記述をめぐって」 | トップページ | いらっしゃいませ! »