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2008/06/11

「沖縄から奄美の芸能をみる」

 奄美の踊りが初体験だったので、「沖縄の音楽や芸能を考える時に、常に奄美との比較の視点を忘れないことが私の基本的態度となった」と語るのは、久万田さんだ。

 奄美の島々には太鼓踊りが広まっている。名称は八月踊り(奄美大島、喜界島)、夏目踊り、浜踊り(徳之島)などと様々だが、いずれも男女が輪になり歌を掛け合いながら太鼓を叩き踊るという点が共通する芸能である(以下、八月踊りと総称)。さらに、沖永良部島の遊び踊りや沖縄本島全域に分布する集団太鼓舞踊ウシデーク(白太鼓)も女性だけで踊るという点は異なるが、円陣の太鼓踊りであること、(琉歌形式)の歌詞が数多く歌われること、踊りが旋律とは別のリズム周期を持っていること、などの点が共通する芸能である。このように奄美の八月踊りと沖縄のウシデークは大きな視点からは共通性をもつが、男女で踊るか女性のみで踊るかというような維かな視点では異なっている。ではこの異質性はいったいどれほど時間的に遡れるのだろうか。(『それぞれの奄美論・50』

 異質さを時間性の問いとして立てる久万田さんの視点は共感できる。ここには、異質性のみでなく、共通性を同時に見ようとする視線が働いている。 

 私は、この違いの発生は、古琉球期に沖縄本島を中心としてノロを頂点としたムラの女性による祭祀体系が確立し、それが北部琉球文化圏全域に広められた時期と、何らかの点で関係があると推定する。それは沖縄における聞得大君制度の確立や、シヌグ・海神祭などの祭りの編成とも密接に関わるだろう。強引に言うと、北奄美にはノロ祭祀は伝わったが、男女の八月踊りは女性の踊りに変わらずに残った。そして奄美の八月踊りも沖縄のウシデークも、その後の時間の中で独自の展開を積み重ねてゆくわけである。

 男女ともに踊る八月踊りと女性だけが踊るウシデークは、どちらが古いかということはすぐには決められない。けれど、女性だけが参加するのが琉球王朝のノロ体制と関連があるのではないかとする仮説はその通りだと思える。シニグの男性とウンジャミの女性は、高神と来訪神の分離以後の形態を想定できるし、それは男女混合の舞踊との新旧の比較をすぐにはできなにしても、精霊のみの世界からは新しいと言うことができる。

 つぎに、時代をぐっと現代に引き戻して、奄美と沖縄の異質性について考えてみたい。沖縄では戦後、沖縄の民族的アイデンティティーを表現する文化運動が盛り上がった。その一つは沖縄を代表する民俗芸能エイサーである。もともと旧盆の踊りだったエイサーは、一九五六年からコザ市(現沖縄市)で始まったエイサーコンクールを足掛かりに、米軍占領下の沖縄の民族性を強力に主張する芸能として発展した。太鼓を数多く導入し、衣装も新たに統一し、戦後の新民謡(創作民謡)も伴奏曲として取り入れ、単純な輸踊りから隊列を組む複雑なマスゲームへと芸能を変化させた。こうしてエイサーは、不特定多数の観衆にアピールする芸能として戦後大きく発展したのである。

 日本復帰前に沖縄とは何かを問い続けた結晶のひとつがエイサーだが、そのエイサーが、喜納昌吉の尽力で一足も二足も早く日本復帰をした奄美の、与論や沖永良部に伝わったとき、いままでなかったのが不思議なくらい身体に響き、自然に受容されていった。それは異質性が簡単に溶解する場面なのかもしれない。

 もう一つは一九七〇年代以降の沖縄ポップの台頭である。沖縄ポップとは、沖縄の民族的アイデンティティーを主張するポピュラー音楽で、《ハイサイおじさん》を携えて一九七七年に全国デビューした喜納昌吉がその出発点といえる。彼の沖縄オリジナリティーに満ちた音楽は大きな注目を集め、一九八〇年代以降の日本のワールドミュージックの先駆けともなった。喜納に続き、知名定男、りんけんバンド、ネーネーズ、ディアマンテス、パーシャクラブなど、八〇-九〇年代以降、多くの沖縄ポップの担い手が続々と登場した。

 70年代の喜納昌吉と80年代のりんけんバンドは、同じく沖縄発の音楽表現であったとしても、その質を異にしていた。喜納昌吉の「はいさいおじさん」は、沖縄のローカリズムがローカリズムとして受けたのだが、りんけんバンドの音楽は、ローカリズムをポップとして昇華した力を持っていた。りんけんバンドの音楽はワールド・ミュージックとは言えるが、ハイサイおじさんはワールド・ミュージックとは言いにくい。そんな差がここにはあり、その段階を踏んで世界性を獲得したのが沖縄音楽の蓄積だった。

 このように沖縄では戦後、エイサーや沖縄ポップを通じて、沖縄らしさを対外的に積極的に表現する文化運動が展開した。もちろん奄美においても、民謡(シマウタ)はレコードやコンクールを通じて洗練され舞台芸能化が進行した。八月踊りも都市型生活様式の浸透による変化に晒されている。しかし、そうした変化の波にあって、沖縄で生じたほどの現代的展開はおこっていないように見える。沖縄ポップに対抗する奄美ポップというものも、兆しはあるがいまだ大きく開花してはいない。この違いは、人口の規模の問題なのか、政治経済の線引きの問題なのか、あるいは「奄美」という統合イデンティティー確立の困難さゆえの問題なのか。これらは深くて取り組みがいのある課題である。

 開花が遅れるのは、人口も経済も政治も奄美アイデンティティも、どれも影響している。けれど、この遅延は、元ちとせのように、ローカリズムの深度を保ったまま世界性を獲得する力となって表出されたと思う。それは、喜納のローカリズムより深く、りんけんバンドが出そうとしても出せない深さだった。

 八月踊りを例にとれば、前述のように沖縄のエイサーとは比較にならないほどの深い時間性を秘めている。それが現代の奄美で、なおパフォーマンスとしての輝きを持ち続けている。これは実は琉球列島の中でも希有なことである。このことの意味は奄美の将来を考える上で計り知れないほど大きい。奄美の未来について、どのような想像力を働かせられるかという問いは、実は奄美の文化というものをどれだけ過去に遡って想像できるかという問いと等しいのである。

 この久万田さんの視点はとても共感できる。時間性を遡行したとき、奄美文化は強烈な光を放つだろう。これは大きな励ましでもある。


「沖縄から奄美の芸能をみる」 久保田普



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