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2008/06/06

「方言というタイムマシン」

 与論島を離れて初めて生活した名瀬の地は、私にかなり大きなカルチャーショックを与えました。ハゲーから始まりイャキャ(君)、ワキャ(俺、私)、おまけに葬式の泣き声にも似た島唄(塩遺長浜節でした)。日々沖縄民謡を聴いて育った私にとって、島唄のサンシン(三線)の音色は驚きそのものでした。裏声で歌うあの哀れさは、幼少の頃聞いた葬式の泣き語り(老婆が亡骸を抱きながら語りかける)に似て葬送の場面を思い起こしました。
 日没から始まる公園での八月踊りの太鼓と口笛は今でも脳裏にこだまし奄美大島の大切な思い出の一つとなっています。ともあれ音楽、言葉、習慣の違い、そして何よりも恐ろしい毒蛇ハブが生息している奄美大島は私にとってはまさに異境の地でした。

 大棚から四時間ほど歩き峠を越えやっと名音に辿り着き、ボンボン船で名瀬に帰った思い出。革で行けない集落があることや大島本島の広さを思い知らされ、小さな与論島に生まれた私にとっては驚きの連続でした。友人の父が繰船するくりぶねで阿室に渡った思い出は忘れることはできません。大島高校卒業後だいぶ年月が経った頃、地元新聞を読みながら苦笑してしまいました。その新聞は阿室に道路が開通したことを報じていたからです。その時まで、阿室はてっきり離れ小島と思っていたからです。(『それぞれの奄美論・50』

 おそらくは1970年頃のエピソードだと思うが、ここには、ゆんぬんちゅ(与論人)にとっての奄美大島への最初の印象が正直に語られている。ううしま(大島)と呼ばれる大きさと、琉球音階に馴染んだ身体には哀しみに満ちたように響く島唄に、驚きを隠せない。これだけでも奄美の振幅の大きさが分かる。

 方言とは、自然と人間のコミュニケーションの中で醸し出され、イメージされ、創られたタイムマシーンではないかと思っています。方言は決して古いものではなく過去にも未来にも一瞬にして飛び立ち、夢と希望と冒険旅行のできるまさにハイテクマシーンと思っています。それとも、過去や未来と通信できる究極のインターネットかな? そして、精神的自主独立の指針が埋め込まれた、生きる知恵の結晶のような気がします。

 分かる気がする。たとえば、「ゆんぬ」という方言は島人が島に上陸したときからあった言葉に違いない。ぼくたちは、ゆんぬというだけでその意味を正確にわからなくても、当時の島人と同じ何かを共有することができる。また、わぬ(わたし)という方言は、もっと古く島人が与論に訪れる遥か以前の島人の祖先と同じ何かを共有する、あるいは共有とまでいかなくても、そこにつながるものを感じるように、時間を遡行することができる。そこには、言葉の意味もさることながら、それを発する発声のときの身体の動きの同一性を通じて、島のこと、島人のことが理解できる気がしてくる。それは方言のたまらない魅力だと思う。


「方言というタイムマシン」岡部康三




 

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コメント

念のため、こちらからも送信します。
喜山さま
メール拝受しました。
忙しい人なので遠慮してしまいました。
原稿は完璧、なのですが、
南日本の引用部分を一工夫してほしいのです。
ふるさと納税の件は南海日日の鹿児島総局も、記事にしているんですね。
南海日日に南日本の記事をベースにした談論が載るのは、ちょっと具合が悪いんです。


そこで、南日本の記事の引用の部分をひと工夫してほしいのです。
「報道によると、」「鹿児島の報道各社によると」とか、「本土紙」「県紙」とか。
よろしくお願いします。

それと、喜山さんの原稿をコメントとしても使いたいのです。
生年月日ともう少し詳しいプロフィールも教えていただけませんか?

久岡 学 奄美大島龍郷町
 南海日日新聞hisaoka2@guitar.ocn.ne.jp

投稿: 久岡学 | 2008/06/06 20:24

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