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2008/06/08

ぼくたちは先住民族だろうか

 日本がアイヌを先住民族と認めたという先日のニュースが大きな出来事に思えてくる。

 アイヌは先住民族

 「日本は単一民族国家」と政治家などが口にするたびに、なぜそんな幻想がいまだにまかり通るのか、ため息をつかざるをえないできた。やっと風通しがよくなると思えて気分がいい。

 それに、このニュースが決して他人事ではないと直観されてくる。それはアイヌに対するぼくたちのシンパシーからもやってくる。

 いま、ぼくたちは先住民族だろうか、とそう問うてみる。
 この場合の、ぼくたちとは、琉球人のことだ。

 琉球人は先住民族だろうか。

 こういえば、琉球弧のなかでは、そんな言挙げはしなでくれという声も聞こえてきそうだ。せっかく日本人と自他ともに見なしてくれているのに、ここで「先住民族」と主張しようものなら、また非日本人というレッテルを貼られるのではないか。そんな恐れを抱くのだ。これは、琉球弧全体より、奄美に絞ったらなおさらそうかもしれない。

 もしこんな声があるとして、ぼくはもう怖れる必要はない、と伝えたい。アイヌが先住民族であることを国家が認めたということは、日本の単一民族幻想が崩壊することを意味している。すると、大和だけではなく、もともと多くの種族の集まりが日本人を構成しているのであるという共通理解が育ってゆくだろう。そこでは、琉球人が日本人か否かという問いそのものの基盤が崩れてゆくはずだ。

 ぼくはこの恐れとは別に、琉球人は先住民族かと問うとき、アイヌのように問えるかどうか分からない気がする。それはアイヌの人々以上に大和との交流が大きく、もともとその混合として存在しているように思えるからだ。たとえば、ぼくの身体を種族の濃度で分解できるとしたら、(アイヌ、琉球、大和)=(1、7、2)などのように高琉球濃度の多層身体となるのではないだろうか。すると、自分を先住民族と主張する基盤はあるのだろうか。そんな疑問に囚われるのだ。

 ところで先日、『アイヌの世界―ヤイユーカラの森から』を読んでいたら、「先住民」についての定義が出ていた。

 「先住民」について、国連は次のように定義しています。(先住民とは、別の地域から異文化、異なった民族的起源を有する人々がやってきて、地元住民を支配、定住その他の手段によって庄倒し、彼らの人口を減少させ、被支配的な立場、もしくは植民地的な状況へ追い込んでしまった時代に、現在の居住地域かその一部地域に生活していた人々の現存する子孫たちのことである。……)

 翻訳文がとても分かりにくいのだが、学的にではなく幾分、現象的に捉えれば、琉球弧はここにいう先住民族に該当するのが分かる。また別段、先住民族という言い方に拠らなくても、この観点で問わなければならないことはある。

 それは、薩摩による奄美・沖縄の植民地化であり、日米による沖縄の基地化だ。
 こう辿ると、アイヌの先住民族を自分たちの課題として受け取ることができるように思える。




 

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