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2008/05/30

「奄美への恋文」

はじめに
 アマミとつぶやいて、ほーつと息を吐いてみる。胸がキュンとなって言葉では表せないような感情の波が押し寄せてくる。くり返し返し。
 やはり、後ろめたい。裸世からアマン世。アマン世から那覇世に変わるときに、奄美、喜界を侵略したのは、琉球王国の私の祖先たちであった。奄美の友人たちの視線が痛い。この歴史のトラウマは止揚されなければならない。
 それでも「アーマンチュ(アマミキョ)」と呼ばれる琉球開闢の神々の原郷に引かれるように、アマミへ通う。一九七九年に、パスポートなしで奄美に渡って以来、何度通っただろうか。もう記憶が追いつかない。道の島ジマよ。
 琉球弧とつぶやいてみる。琉球弧は分断されたままである。鹿児島県と沖縄県に分裂したまま、二十一世紀を迎えつつある。

 隔ての海を結びの海へ
 奄美群島、沖縄群島、宮古群島、八重山群島からなる島ジマを「琉球弧」と再認識し、常に共時的、共空間的に思考し続けるように教えて下さったのは島尾敏雄、ミホ夫妻であった。トートゥガナシ・ウートートゥ。
『それぞれの奄美論・50』

 ドキドキするタイトルだが、「恋文」に「後ろめたい」と書かなくていいのにと思う。約5.5世紀前の王朝権力が行ったことを、現在の一個人の倫理に直結させるのはちょっと短絡だと高良さんも感じるだろうし奄美の人もそれを期待しているわけではないと思う。それは奄美、琉球の関係史のなかで、琉球王朝も当時の国家のご他聞に漏れず、武力で周辺を支配したし、もともと離島権力なのにさらなる離島に圧制で臨んだという思想としての自己批判があれば十分だと思える。もとより、琉球王朝による奄美支配は、薩摩藩の支配のように現在にまで尾を引いてはいない。

 それに「琉球弧」は、政治的共同体の概念ではないから、分断することはできない。琉球弧は分断できない。ただ、奄美と沖縄をつなぐ概念として琉球王国を用いることができないと感じるから、琉球弧をその根拠にしているのは理解できる。

 紙幅がないので、結論を急ごう。二十一世紀の奄美群島の未来は奄美人の手で自決し、自立することだ、という当たり前のことである。しかし、この「自決・自立」という当たり前のことがいかに困難かを私たち琉球弧人は知っている。まず精神の革命から始めなければならない。結婚と離婚の自由を獲得しなければならない。私たちは琉球弧の自決・自立・独立へ向かう。  願わくは、奄美群島が自然と文化を価値観の基軸とした「循環型社会」を創造して、持続的な発展に向かわれんことを。大奄美と大西表こそ琉球弧とヤポネシアの至宝となる時代が来ることを。  そのために、女性たちと、子どもたちの意見が尊重される社会への転換を。そして、奄美群島と沖縄の交流が、ますます盛んになることを。  来る二〇〇九年に薩摩侵略四百年目を迎える琉球弧。分断、分裂の歴史は克服できるのか。この私の恋文が、片思いに終わりませんように。(『それぞれの奄美論・50』

 高良さんの恋文の最後、気持ちを手放しに受け取れるのは、「奄美群島と沖縄の交流が、ますます盛んになること」だ。奄美はメリットがあるところは沖縄との経済共同体を構築していったほうがいい。その上で政治的共同体にまで高めることにメリットがあるのかどうかそもそも可能かどうか、考えていけばいい。「分断、分裂の歴史」の「克服」は、政治的共同体の構築なしにもできるのではないかと思える。

 ただ、高良さんのような「恋文」は沖縄のなかで例外で、よき理解者なのだ。もともと片思いなのは奄美の方だろうから。そのちぐはぐさは高良さんの気負いになっているのだろう。高良さんの想いには感謝したい。


「奄美への恋文」高良勉


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