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2008/05/01

粟粥の呪力

 昨年出版された『しまぬゆ』は、薩摩の侵略に際し、沖永良部の島人が「大量の粟粥を炊き、もうもうと湯気の立ち上る鍋を渚から村口まで並べて」待ったが、島津軍はそれを食料にしてしまい、以来、その地が「馬鹿島尻」と呼ばれた伝承を取り上げて、「伝承のような事実はなかったろう」と結論していましたが、ぼくはそれは事実と見なして構わないものであり、沖永良部は闘わなかったのではなく闘ったのだと書いたことがありました。

 ※「沖永良部の抵抗」

 松下さんによれば、同様のことは徳之島でもあったことが分かります。

尚真時代の神女組織の確立は政教の分離をはかり、宗教に対する政治の優位化を目的としたものだというが、その神女組織自体が(中略)政治に密着しており、根神・ノロ・聞得大君などの神女は「おなり神」の霊力を通じて、根人・按司・国王などの政治を補佐する存在であったともいう。琉球王朝の政治の世界でもそうであるから、まして奄美の島々の場合呪術の力が支配的であっても不思議ではない。

大山麟五郎によると、奄美の場合栗の穀霊による悪霊払いの呪術が信じられていたのだという。「琉球入記」で徳之島掟兄弟の兄が「家ごとに粥をたざらかし、大和人の膝を火傷させるために坂や道に流せ」と命じた粟粥は、そのような霊力をもつものであった。名瀬間切の伊津部村にある拝山はうしろの尾根に堀切があり、それは敵を直接防禦するたあのものというより、ノロが粟粥を注ぐ儀式を行なった所であって、悪霊が部落に侵入するのを防ぐものだったという。このような栗の穀霊に対するアニミズムは、中尾佐助が照葉樹林の農耕文化を分類した第四段階、すなわち雑穀栽培の開始以来、島の人たちをとらえていたものであろう。焼畑の灰の中から芽をふき出してくる菜に対して古代人が畏怖の念をもつことは別に奄美だけのことではなかったが、農耕文化の発達が充分でない南の島々で、「按司世」までそのような素朴なアニミズムが生き続けていても当然であろう。(『近世奄美の支配と社会』松下志朗

 松下さんは控えめに、「素朴なアニミズムが生き続けていても当然であろう」としているけれど、ぼくは、それこそは奄美(琉球弧)が長く保存した世界観だと思っています。雨よ降れと念じれば雨が降るという雨乞いの世界観は、人間と自然の関係の原型のひとつを示すものでありますが、劣った世界観ということでは全くないので、「農耕文化の発達が充分でない」とへりくだって言う必要はないことです。この、人間と自然の関係の原型を保存した世界への侵入と支配は、薩摩の琉球侵略の特徴であり、薩摩にとっては奄美を植民地化するのに好都合な条件に見えたかもしれません。

 松下さんは、島津の沖永良部侵攻についても触れています。

「琉球入記」は、その後の沖永良部島侵攻の経過を次のように記している。すなわ薩摩藩の琉球侵攻ち、沖永良部島に船団を進めたところ、荒波や夥しい岩瀬のために陸地に近寄るすべもなかった。一方沖永良部島の世の主は、それをみて、もはや軍船が攻め寄せることもあるまい、もし陸地に近寄れば船は悉く難破するから、直に郵覇の方へ向かうだろうと評定していたところ、丁度大潮が満ちてきて岩瀬の上を浪が越すようになり、薩軍の船団もそれに乗じてなだれこみ、そこで沖永良部島の世の主は僧を達して降伏したという。

それに対して大将樺山が「一戦にも及ばず、馬鹿者共よ」と言ったので、その後、その所を馬鹿尻というようになったのだという。この樺山の三一日はおそらく薩軍の将兵みなが一様に抱いた感懐かもしれない。武力の優越が全ての価値基準である封建社会の薩軍将兵にとって、奄美の風土が異国的に美しければ美しいほどに、その島々の集落や生活が侮蔑の対象となったのであろう。一方「琉球渡海日々記」は、三月二十四日「えらふの島崎に日の入る時分こちと御かゝり成られ候」と簡潔に記しているのみである。(『近世奄美の支配と社会』松下志朗

 松下さんは、「奄美の風土が異国的に美しければ美しいほどに」と奄美への愛情を下敷きに書いてくれていますが、ぼくは、樺山が「一戦にも及ばず、馬鹿者共よ」と言ったのなら、馬鹿という人が馬鹿なんです、と返そうと思う。



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コメント

 クオリアさん

 近年にない大きな百合ケ浜に渡り、寺崎の浜の海で泳ぎ
ました
親先祖が生きているユンヌの島は暖かく迎えてくれました

 道州制もさることながら・・・です 
 温故而して、今を知る大切さは云わずもがな・・されど
沖永良部との合併をさけ、単独でオンリーワンで生きるの
を決意したユンヌのシマンチュの思いは・・・?

 あらためてユンヌの島の自然につつまれ恵まれた姿、懐
の深さに心を洗われました
「ガシガの島」のユンヌ、「ウリウリヨの島」の寡黙さの
思いの襞に潜む奥行きの凄さのさり気なさに惚れます

 率直に云って、「オンリーワン?ウリャ ヌガ?」と問
い返したくもなりますが、自分自身に問われたらやっぱり
「ユンヌや ユンヌデール」としか云わないでしょうね
ユクユマンガネーシ 偽らざる「ムイデーシガヨ」です

 迷い、彷徨い、間違い、後悔・・・諸々の人生でしたが
余生を生きる活力をユンヌの島からいただきました

ミッシュウク ミシュウク トウトゥガナシ!でした

 アグンチャー ムールシ キバリヨー!

投稿: サッちゃん | 2008/05/01 23:59

サッちゃんさん

それはよかったです。そういえば島はもう泳げますね。

「ユンヌや ユンヌデール」。
わざわざオンチリー・ワンと言わなくても、もともと、そうですよね。

与論のさりげない奥行き。代え難い魅力です。

投稿: 喜山 | 2008/05/02 08:41

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