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2008/05/20

「『幻想』から実体確立へ」

 わたしの旅は鹿児島から始まることが多かった。鹿児島は奄美研究の碩学たちがい蝟集する都市であるため情報収集に便利である。しかし鹿児島の一般市民になんとなく共有されている奄美に対する醒めた視線と無関心の只中にいることに、ヤマトンチエであるわたしでさえも、いたたまれなくなる。最近は、大阪からまず沖縄へ飛ぶことにしている。沖縄には奄美を琉球弧の一員として迎え入れる感性の土壌が存在し、安堵を感じるのである。(『それぞれの奄美論・50』

 東京などから与論に行くのには、鹿児島経由と那覇経由の二つの行き方がある。自由に選んでいいのなら、ぼくは躊躇なく那覇経由にする。鹿児島経由にすると、鹿児島空港にいる時間ですら緊張してしまう。何か、我知らず臨戦態勢に入っている気分になるのだ。もういい加減、ほどこうとするのだが、いまだにできない。那覇経由だと、与論と同じ空気、気温、顔つきという気がして安堵する。そう、この安堵は同じだと思った。

 いや、大橋さんが言いたいのはそのことではない。

 沖縄には「沖縄」という強烈な地域実体がある。奄美は、(琉球=沖縄)と(薩摩=鹿児島)という南北の強力な磁力圏の間にあって常に揺さぶられ、時に激しく翻弄されてきた。その中にあって奄美には「奄美」という地域実体はあるのだろうか。
 歴史的にみれば、奄美の島々が「奄美」であったのは、他者により峻別された場合が多かったのではないか。近代の例では、鹿児島県が(奄美「独立経済」)政策を施行する対象であったり、米軍政府により設立された「奄美群島政府」の区域として、また復帰後は本土との地域格差を是正するために導入された奄振法の適用地域として「奄美」が位置づけられた。これらはすべて奄美は述語的位置に置かれている。つまり他者からの区別を前提とした地域として、また格差を解消するための受け皿としての「奄美」であったように思われる。(復帰運動の際には「奄美大島」「奄美群島」といった表現が復帰運動推進者によって使われていたことが多かったようだ)。

 奄美の島々を巡り、島の文化や民俗、風土に接する時、ここが奄美であるという自覚より、そこにいる島名で接し思考しているほうが、しっくりくる。奄美の人たちは、「奄美」という言葉と概念をどれほど自分の主体に引きつけて、発語しているのだろう。それとも、もともと「奄美」という存在は、鹿児島、沖縄、ヤマトンチュ、そしてヤマトに住む奄美群島出身者などといった他者からのまなざしによって支えられている「幻想」なのだろうか。
 いまや、県境・国境を越えて、経済・文化・情報が地球規模にグローバル化し、中央集権国家が地域社会の細部を傭撤することの困難さを露呈させている時代である。そんな時代だからこそ、奄美の島々とそこに住む人々が「奄美」を自律させ、地域実体を確立させていくことが大切なのはいうまでもないことだ。(『それぞれの奄美論・50』

 「実体としての奄美」を正確に受け止めているか分からないが、ぼくの問題意識に引き寄せれば、「奄美という抽象は可能か」ということになると思う。奄美って何?と聞かれたときに答えられる言葉あるいはイメージ。

 たとえば、ぼくにも与論人(ゆんぬんちゅ)はリアリティがあるけれど、奄美人(あまみんちゅ)となっただけで空虚感を感じてしまう。奄美大島の人を指すという受け止めの方が先にやってくる。

 ぼくはそれに答えるには、まずそれぞれの島が充分に、島を語ること島を表現することが必要だと思う。与論なら与論を語りつくすこと歌いつくすこと。与論という具象が充実して、それが見えてくれば、共通項としての奄美も浮かび上がってくると思える。それはない、ということですら、「ない」という共通項として持つことができるのだから。


「『幻想』から実体確立へ」大橋愛由等



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