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2008/05/02

奄美直接支配、隠蔽の意図

 1609年、琉球侵攻後、1613年、大島奉行設置、1623年には「大嶋置目条々」を発布、年貢徴収法や大型船(楷船)の建造禁止、薩摩藩への貢納の方針を示します。そして、1624年、奄美は薩摩藩の「御蔵入」、直轄地となります。

 しかし、薩摩は直接支配にしたにも関わらず、「琉球道之島」と対外的には表明します。それは江戸時代を通じて変更されることはありませんでした。

 このような施策を着々と講じながらも薩摩藩は幕府に対して「琉球道之島」として、その行政区画を設定し、それは江戸時代を通じて変更されることはなかった。実質的には薩摩藩の蔵人地でありながら、表向きは琉球王朝支配地として押し通したのである。そのような状況は慶長期末・元和期の道之島の歴史的事情に由来すると考え られる。(『近世奄美の支配と社会』松下志朗

 なぜそうしたのか。松下さんはここで、面白い仮説を提出しています。

 ここで敢て大胆な推定をするならば、薩摩藩政担当者にとって、道之島は当初唐船着岸貿易の市場として意識されていたのではないか。「薩州唐物来由考」によれば、元和二年(一六一六)ごろ、江戸幕府は唐船との貿易は長崎で行なうよう命じたにもかかわらず、中国側の嘆願の形をとった薩摩藩の訴えにより、その禁止令を撤回したという。また同年八月の芝家蔵「船切手」は積荷として「船釘六百三拾四斤」等を記しているが(『名瀬市史』上巻)、それは「楷船」(交易船)建造用であろうという。このような中国との直接貿易に対する薩摩藩の執心は、奄美諸島を表向き(幕府に対し)琉球に附属せしめて、唐船着岸による交易の場所として設定しようとするものであり、その思惑が奄美諸島を琉球から行政的に分離しながらも直ちに蔵入地にしなかった理由ではなかろうか。

 明(中国)と貿易の窓口を持っているのは琉球。だから、対明貿易を維持するには琉球は琉球でなければならない。奄美が対明貿易の窓口になるのも、奄美が琉球だからである。もともと琉球侵攻したのは、対明貿易が目当てだったくらいだ。そこでもっと考えると、その利益をより得るためには、奄美を表向き琉球のまま直接支配し、貿易拠点にしてしまえばいい。そういうことだろうか。

 松下さんは、貿易拠点としての構想があったから、すぐに「蔵入地」にしなかったのではないだろうかと考えています。この仮説は、その後支持されているのかどうかを知りませんが、素直な仮説に思えます。松下さんは続けます。

行政区域は異なるが、種子島への唐船漂来の状況をみると、鎖国が完成する寛永十六年(一六三九)以降でも移しいものがあり、寛永二十年(一六四三)には「唐船しばしば漂来し、事煩わしき故を以って、官に検便を請う」(『種子鳴家譜』六)としている。それは寛永十一年(一六三四)薩摩藩着岸の唐船貿易を禁止されて、唐船を長崎へ護送することの煩わしさがあり、また経費増加に音をあげての請願だったのであろう。以上のことは、鎖国完成以前の慶長・元和期において、南島着岸の唐船貿易の盛行を示唆するものである。

中国南部との地理的近さからも、学事をふくめての人々の交流からみても、唐船が道之島に数多く漂来し交易を盛んに行なったことは充分肯定できることであろう。薩摩藩はそのような交易市場として、奄美諸島を処遇することを模索していたのではなかろうか。そのような交易利潤をも含めて道之島高四万三二五七石余が籾高によって設定されたものと考えられる。そして「琉球道之島」という表現に藩政担当者の志向がよく表現されているように思われる。(『近世奄美の支配と社会』松下志朗

 奄美の対明貿易拠点は、正確には、「唐船着岸貿易」の拠点ということでした。これは、奄美に着眼した唐船との貿易という意味だと受け取れます。そういえば、弓削さんも「奄美から視た薩摩支配下の島嶼群」(「漂着・飢饉時の借米機構」)で漂着の多さに注目していましたが、それは、琉球弧の島々の船が琉球弧のどこかの島に漂着するというだけでなく、唐船が漂着することも含まれていました。奄美には唐船が漂着することが多い。そんな実態に着目して「唐船着岸貿易」は構想されたのかもしれません。


 昨年、『しまぬゆ』を読んだときにも感じたことですが、松下さんにこうした仮説を構想させる薩摩は、このとき国家への欲望を宿していたと思います(「侵略の根拠」)。

 琉球王国というまがりなりにもの国家に対して支配者として振る舞い、奄美を直接支配するもそれを幕府、明(中国)という両国家に対して隠蔽するという振る舞いは、自らを暗に国家と擬していることを意味しているのではないでしょうか。薩摩の琉球侵攻は、藩財政の建て直しと対明貿易の利益確保を根拠にすると言われますが、ぼくたちはそこに、その意図を破って奔流する国家への欲望を見るのです。


追記
 松下さんは、奄美の唐船着岸貿易の交易市場化を、幕府の鎖国令によって諦めたのではないかとしています。



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