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2008/05/03

収奪の槌音

 このような琉球王朝による寛文期の砂糖生産の増加は、当然薩摩藩の承知するところとなり、その利潤の大きさは財政難に苦しむ藩政担当者の食指を動かすに充分であった。地理的に近い道之島が新しい相貌で藩政担当者の念頭に浮かび上ってくるまでに時間はそうかからなかった筈である。『近世奄美の支配と社会』(松下志朗)

 ときは17世紀後半。奄美にとって収奪の槌音は南からやってきた。
 ここでの松下さんの筆致は迫力があり、不気味な空気を漂わせています。今につながる奄美の宿命の予兆です。

◇◆◇
 
 ただ、今回、松下さんの考察を読み、黒砂糖の生産開始は、薩摩の強制ではなく、琉球の内発的な行為であったことを確認すると、かすかな安堵感がやってきました。いままで与論島の砂糖きび畑を眺めるとき、ともすると薩摩に収奪された貧困と圧制の象徴を目にしているという思いにかられることもあったのですが、改めて思えば、琉球の黒糖生産に薩摩が付け込んだのか、そもそも薩摩が強制したのかでは、受け止め方が違ってきます。琉球の島人が作り始めたものなら、あくまで自分たちのものという眼差しを持つこともできるわけです。

 砂糖きび栽培は、その粗放さゆえに文化を育てないと言われることもありますが、それでも、そこに自分たちの文化の土壌はあります。TV番組「ちゅらさん」で、小浜島の砂糖きび畑の道を「シュガーロード」と呼んだとき、ぼくは貧困と圧制の象徴をポップに置き換えたことに驚きましたが、砂糖きびはそもそも琉球の島人が内発的に始めたことだと思えば、呼び名を変える根拠と権利はあると思えてきます。

 砂糖きびは、いまも島の経済の柱であるとともに問題でもあり続けているわけですが、砂糖きびとともに培われてきたものは何だったのでしょう。砂糖きび文化。いつか取り組みたいテーマです。



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