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2008/05/31

「これからの奄美を考える」

 南さんは、「これからの奄美を考える」と未来に目をやるのだけれど、ぼくは過去の記述に目を見張る。

 昭和三十年の頃まで、名瀬から少し離れると裸足で遊ぶ子どもを見かけるほどに奄美はきわめて貧しく、親そのものも生活に追われて懸命に生きていた時代であった。私が大高を卒業し鹿児島大学文理学部に進学したのは昭和三十九年のことであった。この頃、時に公衆電話をかけていた下宿の近くのたばこ屋のお婆さんから「奄美はジャングルに覆われ、大人も子どもも半裸で裸足で生活していることであろうに、良く大学に入ってきた」と感心されて大きなショックを受けたこと、またこの頃に教育学部を卒業した先輩が、鹿児島の教育界で離島出身者は人事異動に差別があるので他県の公立学校に就職すると言っていたことなどを、いまだに時に思い出す。(『それぞれの奄美論・50』

 いまでも人事異動の不利があるのか知らない。離島経験が出世の条件だから我慢していくというのは聞いたことがある。けれど、下宿のおばあさんのような誤解はあらかた払拭されている。

 ただ、ぼくが過去の記述に関心がいくのは、知りたいからである。与論のことなら多少は知っている。けれど、大島の高校を出た両親や大島に転校したり勤めたりした親戚から大島のことは聞いているけれど、それ以上の実態を知りたく思うからだ。奄美を肌感覚で知りたい。

 『奄美の島々の楽しみ方』の山川さんから聞いたことがあるのは、喜界島の老婆が、あれだけ方言をしゃべるなと強要されたのに今になってしゃべれと言われたって、もう何もしゃべりたくはない。と話したということだ。正直な気持ちだと思う。この老婆に、それでもしゃべってほしいと言うのではなく、喜界島の一老婆がそう言っていたというそのこと自体を知りたく思う。それは、「これからの奄美を考える」ためのかけがえのない前提になる。


「これからの奄美を考える」南徹弘


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