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2008/05/30

なぜ、分配方式なのか? 2

 鹿児島県の「ふるさと納税」について、追加の情報が出た。どうやら、ぼくが与論町への納税を希望する場合は、県への分配なしに十割を与論町に納めることができる。だが、異議はある。というか、異議だらけだ。

「ふるさと納税」として納められる寄付の受け付けは、原則として県が窓口となり市町村に六割を分配。「窓口一本化」を踏まえ、市町村独自の寄付呼びかけは控えることを申し合わせた。寄付する側が特定の市町村への納税を希望する場合に限り、県の窓口を通さず各自治体が手続きをすることも確認した。(「南日本新聞」)

 「ふるさと納税」の主旨に照らせばこれは逆でなければならない。寄付する側が市町村を指定するのが「原則」であり、「どことは特定できないが県に納めたい」という希望者が出た場合に「限り」、県にも分配されるというのがことの順番である。個人の意思に任せた制度に対し、県がかぶさってくるのは余計なことだ。

 寄付の取り扱いについて県は、出席者にふるさと納税についての「Q&A」と題した文書を配布。協議会設立の趣旨を「県外在住の本県出身者に、寄付募集を県と市町村が一体となって取り組むもの」と説明した上で、市町村が独自に寄付金を広く募集することについては、「協議会の和を乱すような取り組み」と自粛を求めた。(「南日本新聞」)

 「自粛を求める」などお門違いも甚だしい。自粛をしなければならないのはこの場合、「県」の方である。県としての鹿児島のこの思考は倒錯している。地方分権というが、鹿児島県にとっての地方分権は、鹿児島内での中央集権を進めることを意味するだろうと予測をしてきたが、「ふるさと納税」でもそれが露呈しているのを感じる。県としての鹿児島にとって地方分権とは、国家としての鹿児島を実現する機会として映っているのではないだろうか。幕藩体制における薩摩藩がそうであったように。

 県町村会長を務める井上卓三さつま町長は「協議会に参加しないという選択肢もあったが、市町村で競合すれば混乱をきたすということで足並みをそろえた。自治体にはまだいろいろな意見があるだろうが、まずはこの制度を活用して税収獲得に全力をあげたい」と語った。(「南日本新聞」)

 時代錯誤の権限集中にはいつも、任せれば「混乱をきたす」からという衆愚思想を潜伏させたもっともらしい前振りがついてまわる。この手の理由をぼくは散々聞いてきた。既視感どころではない。県としての鹿児島は何も変わっていない。そのことを再確認するようだ。

大口市の隈本新市長は「地方分権の流れの中で自立のために頑張らないといけない市町村なのに、県が(窓口を一本化し)主導することを前提とした取り組みはどうなのかと疑問はある」と発言。
 伊藤知事が「全国で一番手厚い」と自信を見せるふるさと納税への態勢づくりに対し、総務省市町村税課は「寄付募集について県と市町村が一定のルールをつくって取り組むのは問題ないが、寄付者の意思を制限するようなことがあってはならない」とくぎを刺した。(「南日本新聞」)

 妥当な発言は皆無ではなく市町村首長からひとつでも出ていることにほっとするが、一方の総務省の釘刺しも当然である。県としての鹿児島は、「ふるさと納税」の何たるかを勘違いしている。しかしこの勘違いは彼らに連綿とする錯誤に思えてならない。

◇◆◇

「南日本新聞」
「ふるさと納税 鹿県推進協設立 県庁で総会」

「朝日新聞」
「ふるさと納税で市町村と協議会設立」

協議会長の伊藤祐一郎知事は設立総会で、薩摩藩士が京都や江戸に攻め上がった戊辰戦争にたとえて「私は第2次戊辰戦争と呼んでいる。東京、大阪を中心に寄付を取りに行く意識でやりたい」と話した。その一方で、「混乱を起こしたくない」として、県内のほかの市町村在住者に寄付を呼びかける行為を自粛するよう市町村長らに求めた。

「毎日新聞」
「ふるさと納税:県が窓口、各市町村に配分 全国初 鹿児島で協議会設置」

寄付は「かごしま応援寄付金」と命名。協議会の発足式で伊藤祐一郎知事は、「(ふるさと納税は)第2の戊辰戦争。県外に(寄付を)取りに行こう」と、幕末の薩摩藩さながらに決意表明。「全国一の手厚い体制」と自賛しながら、「いくら集まるか全く分かりません」とも。

 何をたとえるにも明治維新前後をもってする県としての鹿児島の思考回路がよく現れている。寄付を取りに行く戦争? 何を言っているのだろう。行政府の首長の発言がこの体たらくで、恥かしくはないのか。

◇◆◇

 もう参加してしまった後かもしれないが、与論町がこの協議会に加入することに反対したい。

 「なぜ、分配方式なのか?」に書いたが、現行の「ふるさと納税」は、「ふるさと」を離れた個人の想いに依存し、かつその範囲も一割という限定を加えられた「弱い」制度であり、地方市町村の行政にとって根本的な解決をもたらさない。だが、個人の意思を反映できるその一点で、「ふるさと」を離れかつ想いを寄せる者にとって活路となる制度であることに変わりはない。むしろそれこそが生命線である。県がコントロールしようとしたが最後、この納税方式は無効化する。県が個人の気持ちにつけ込んでしゃしゃり出てよい理由など、どこにもないのである。


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