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2008/05/11

『それぞれの奄美論・50』

 『それぞれの奄美論・50』は面白い。奄美の人、奄美に想いを寄せる人が、奄美を現在、どう考えているのか。それを知るには格好のテキストだ。ぼくはここで、たくさんの共感する考えに出会ったし、またたくさんの異なる感じ方にも出会った。要は、この本を読む間、奄美というテーマに関して、孤独から解放されるようだった。

 何より、50人の声がこだましているのがいい。知らないだけかもしれないけれど、語られないのが奄美という固定観念があったから、語られることそのものが嬉しいのだ。50人の1人目として南海日々新聞の記者、重村さんは、「『奄美21世紀への序奏』。大げさすぎるテーマとタイトルである」と謙遜している。でもそんなことはない。いいじゃない。奄美にも21世紀はあるし、そこに序奏を置くとしたら、島人や島を想う人が語るにしくはない。

『それぞれの奄美論・50―奄美21世紀への序奏』
Photo_2












 重村さんは、奄美の人々を次のように書き起こしている。

 奄美(の人々)は、鹿児島と沖縄の間にあって、自らの出自を「ぼかし」、その存在を「付録」として扱われてきた、と書いたのは山下欣一鹿児島国際大学教授(名瀬市出身)である。また、作家の島尾敏雄は、奄美の内なる問題として、「本土で自分の出身地を『奄美です』と率直に言えない」と島びとの心理的屈折を挙げている。山下教授は、こうした心情的環境は今も変わらないのではないかと言う。(『それぞれの奄美論・50』

 重村さんに代わって山下さんに言えば、そんなこともないと思う。ほんの一例だけれど、ぼくは本土で出身地を「与論です」と素直に、というか、意地でも言ってきた。鹿児島です、とは一度も言ったことはない。そういうなら「ぼかし」は反転していて、ぼくの場合、「鹿児島県」をぼかしてきた。

 この例は普遍的だとはちっとも思わないが、ぼかしの箇所が、「与論(奄美)」から「鹿児島」に移っていることは、奄美的課題の変容を物語るとともに、課題は充分には解けていないことも同時に物語っていると思う。

 ぼくもまた、50人の声を頼りに、奄美的課題の現在に肉薄してみたい。

◇◆◇

 ほんの少し、わがままを言えば、こうあったらよかったのにと思う点も二つある。
 ひとつは装丁。もっと明るくすればよかったのに。もちろんよく見ると、これは暗い装丁なのではない。ゴー(井戸)のある洞窟を子どもが外へ出るところを洞窟の奥から写したものだから、奄美らしい自然を使い、また光さす場へ出て行こうとする意図も汲み取れるのだが、第一印象は、強烈な白黒で、暗い強烈な世界が展開されているのではないかという印象を持ってしまった。暗重(くらおも)の得意なぼくにしてもなかなか手に取る気にならなかった。これも多くの感じ方かどうかは分からないけれど、ひとつの印象として。

 もうひとつは、もっと若い人の声も聞きたかった。声を寄せた執筆者を生年で分類するとこんな分布になる。

 1920年代  1人
 1930年代  2人
 1940年代 21人
 1950年代 14人
 1960年代  9人
 1970年代  2人

 2001年というタイミングを考えると、80年代にはさすがに無理があるかもしれないが、少なくとも、60~70年代の声をもっと聞きたかった。そこは奄美の現在と未来を担う声に育っていくわけだから。

 けれどこう書きながら内省もやってくる。奄美について語れる年代が60年代以降はいなくなっているということかもしれない、と。それなら、せっかく語られだした奄美は、急速にまた語られなくなることになるだろうか。

 いやいや変な連想はひとまず置くとして、それぞれの奄美論に入ってゆこう。


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