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2008/05/26

なぜ、分配方式なのか?

 ふるさと納税が、分配方式になると聞いてびっくりした。

 ふるさと納税 市町村に6割分配/鹿児島県

 寄付の窓口を県に一本化 鹿児島、ふるさと納税で

 これによると、「県が受け付けた寄付金の分配率を市町村6割、県4割とする方針を明らかにした」という。なぜ、県が登場するのだろう。「事務手続きを効率化し、寄付金を市町村間で奪い合わないため」と説明があるが、奪い合うも何も、ぼくの場合は与論町に納税したいのだから奪い合う余地はない。

 今回のふるさと納税は個人の想いに依存したもので、それ自体、根本的な解決を呼ぶ方策ではない。だが、この方策はそれが制度的な弱さではあるものの、個人の想いでできるという道筋を確保している点にポイントがある。個人の想いに従うという制度的な弱さが、実はこの方式の取り柄だと思える。だから個人の想いが濁るのであれば、コミットする気持ちは削がれる。たとえば、ぼくは与論町に納税したいのであって、それが鹿児島県にも行くのであれば、納税の気持ちはゼロどころかマイナスへ転化してしまうのだ。

 本当の背景は何だろう。この記事だけからはうまくつかめない。ただ、気になるのは、上記の掲載記事とは別に読んだ南日本新聞に、「与論町も『町単独よりも広くアピールできる』とおおむね歓迎の意向だ」と書かれている点だ。現在は町単独のほうがアピール力は強くなる。与論島であればなおさらそのポテンシャルを持っている。なぜ、ここで県依存の発言が出てくるのだろう。

 詳細がつかめないときちんと判断できないが、いまの段階では、鹿児島県のふるさと納税はこの時点で無効化していると思える。少なくともぼくにとってはそうだ。




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