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2008/05/26

「中枢を担うもの」

 奄美に地域実体はあるのか、と問われれば、むろん「あります」と私は即座に答えることはできる。しかし奄美のアイデンティティーは何かと問われれば、「これです」という具体的な実体を提示することができない。奄美という地域性に育てられた島うたや、年中行事や、大島紬などの文化の多様さは、個性としてこれ以上の魅力はないといってもいいほどだが、それはあくまで個性であって奄美を括る概念ではない。

 しかしこんな言い方は、ほんとうはとても乱暴で無神経なのである。立ち止まってよく考えてみれば、私たちの回りには貴重な実体が、それぞれの息づかいで活動しているのが見えてくる。たとえば、「奄美自然の権利訴訟」に代表される、さまざまな環境問題にかかわってきた多くの方や、今まさに渦中にある、産業廃棄物間道にかか
わっている方々、無我利道場の追放運動から生まれた「奄美を考える会」一休会中)、地道な活動をつづけている奄美の自然を考える会の 「きょらじま」、復帰四十周年記念事業の一環として発刊された多種多様な出版物や、女性たちの「いじゅん川」、休刊中の「さねんばな」、奄美瑠璃懸巣之会の「ルリカケス」、詩誌「地点」、瀬戸内の「しまがたれ」、神戸奄美研究会の 「キョラ」などなど。(『それぞれの奄美論・50』

 佐竹さんの繊細な目線に立ち止まる。奄美に実体はあるのか?という大橋さんの問いかけに、佐竹さんは「あります」と答える。奄美の人だったらそう答えたくなるというものだ。ところが、「あります」と言ったものの、共通にくくれる奄美の統一的なイメージがないのに気づくと、あとが続かなくなる。

 でも佐竹さんは、あとが続かなくなるそのところで、それで実は奄美は無いとしてしまったら、大事なものを見失ってしまうのだと言っている。個別具体的に育ちつつあるものこそ大切だし、それが奄美全体で共有できるものに大きく育つかもしれない。佐竹さんはそう視線を促している。それは励みになるものだ。

「中枢を担うもの」佐竹京子


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