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2008/05/19

奄美=ヤドカリの地!?

 吉成直樹さんの『琉球民俗の底流』が面白かった。

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 吉成さんがここで取り上げている「ニライカナイ」、「来訪神」、「御獄」、「オナリ神」のテーマ群は、『琉球民俗の底流』と同じ2003年に出された中沢新一さんの『神の発明』と合わせてみると、一気に理解できるところがあり、両書のシンクロに興奮した。

 ぼくは中沢新一が展開した対称性人類学が、琉球弧を理解する上で強力な補助線になると感じて、「対称性人類学から見た琉球弧」として紹介をしようとしたことがある。けれど、「引き裂かれる奄美」という言葉にいい意味で躓いて、以来、奄美にとっての道州制の問題、そして奄美とは何かというテーマに浸かることになり、対称性人類学から見た琉球弧に戻るのはいつになるやらと思ってきたのだが、このテーマが生き生きしているのを、吉成さんの本でまた思い知らされるようだった。

 いつかこの本の考察ともゆっくり対峙したいが、たとえば、「アマミキヨとは何者か」という考察がある。

 ところで、「アマミキョ」とは何者なのだろうか。アマミキョにまつわる伝承には複雑な陰影がある。
 これまでの研究に従えば、太古、沖縄の島々に南下して住みついた人々の故郷が「アマミ」「アマミヤ」であり、その故郷に住む人々が「アマミキョ」ということになる。また、『おもろさうし』のなかでは、「あまみや」「しねりや」という言葉が用いられる場合があるが、さきに掲げた巻十-五一二のほかのオモロでは「大昔」という意味である。しかし、「アマミ」の語義、語源についての定説はない。

 この問いに惹かれるのは、琉球の開発祖神とされるアマミク・シネリクの語源を扱っているからだ。そして同時に、「奄美」という地名の由来に関わっている。

 ところで、中本正智は「アマミキョ」の「ミ」は「土」、「キョ」は「子」と解し、「ミキョ」は「土子」という意味としている。また、アマミキョ・シネリキョの住居と伝承されている玉城村の洞窟、ミントン城(グスク)のミントンもまた「土の殿」、すなわち地下にある殿、と解している(中本、一九九〇(一九八五)、八九五)。これまで展開してきた議論のなかにうまく位置づけて考えられることからも、こうした解釈は正しいと考えるり 特に、ミントンを「土の殿」とする解釈は、新里村にアマミク・シルミクの二神が洞窟(タマガーヤマ)で子孫を生んだとされる伝承があることからも裏づけを得ることができよう(酒井、一九八七、三五~三六)。それが天から降りてくるとされるのはなぜだろうか。

 吉成さんが「これまで展開してきた議論」というのは、ニライ・カナイの語源として「みろや・かなや」という言葉を抽出し、それを「土の屋、日の屋」と仮説した中本さんの説を踏まえ、ニライ・カナイを「土の中」と理解してきたことを指している。

 ぼくがさらに関心を惹かれたのは、このあと、吉成さんがアマンの考察に入るところだ。

 小島瓔禮は、琉球開闢神話を検討するなかで、次の諸点を指摘する。
 第一に、開闢神話にヤドカリが登場するのは八重山の特色であり、開闢の時代を「アマン世」というが、これは「ヤドカリの時代」を意味する。それは、人間がヤドカリから生まれたと考えられていることに由来する。第二に、左手の茎状突起部の入墨の文様をアマン(ヤドカリ)というのは、奄美諸島から八重山諸島にいたるまでみられるが、沖永良部島では、それをアマムといい、祖先がアマムから生まれ、われわれもアマムの子孫だからという伝承がある。第三に、八重山、宮古にはアマミキョ・シネリキョ神話がないが、石垣島には創世神のアマン神(六七頁、石垣島・白保の開闢神話を参照)があり、北部地方との脈絡が保たれている。第四に、琉球列島の神話の構成原理に、一次的に開闢神が天から下るのに対して、二次的な神(原初の人間)は地中から出現するという考えがあった可能性がある(小島、一九八三、二〇六⊥一〇七)。

 琉球列島における開闢神話の基本をなすのは、原初洪水型(はじめに水だけの世界があるとする神話。実際に洪水がおそってきたと語るのは、洪水型と呼ぶ)の兄妹始祖神話である。これは、『記紀神話』のイザナキ・イザナミ神話も同じである。小島瓔禮が、琉球列島の開闢神話の構成原理として、原初の人間が地中から出現したと考えたのは、これまでも繰り返し述べてきたように、「土中からの始祖」神話と「原初洪水型の兄妹始祖」神話が結合した結果である。

 ヤドカリの入墨が琉球列島に広く分布しており、しかも八重山と奄美で、自分たちの祖先がヤドカリから生まれたとする伝承があることを考慮すると、アマミキョ・シネリキョ神話の琉球列島における原型は、土中から出現した原初的な存在であるヤドカリから生まれ、土中から出現した兄妹二神であると考えられる。

 ぼくも、「アマン世」とは「ヤドカリの時代」のことだと思ってきた。琉球弧で見られたアマンの入墨に対して、「自分の祖先だから」とした島人たちの発言があり、またヤドカリを祖先とみなす与那国島の神話も存在する。これらは人間が人間と他の動植物の存在を等価とみなした世界観を反映したものだ。「アマン世」を「ヤドカリの時代」と理解するのは、国家形成以前の世界認識として、またその後も長く琉球弧に残る世界認識として的を射ていると思えるのだ。

 なぜ、ヤドカリを自分たちの祖先と考えられるようになったのか不思議ではある。これは、自分たちの祖先が、ヤドカリが巻貝の殻を移り住むように、洞窟で穴居生活を営み、洞窟を移り住んでいたからではないか、という推測は充分に成立つであろう。

 人間=動植物という原初の世界観の産物と考えれば、「なぜ、ヤドカリを自分たちの祖先と考えられるようになった」のかは、不思議ではない。ぼくはこう思うとき、海に近い珊瑚岩だらけの樹々の下を歩くと、気づけばあちこちに、そう普遍的にと言っていいほど出没するアマン(ヤドカリ)の姿を思い出すのだが、あれを目の当たりにすると、琉球弧の初源の島人が、繁殖する生命の象徴をヤドカリに見たとしても不思議ではない。それは象徴的であればこそ人間身体にも入墨として定着したのだ。

 ところで、ぼくはそこから、「アマン世」と「奄美世」と当て字するのを見ながら、奄美世と書いて「あまんゆ」と読ませているのではなく、奄美とはアマンから来ていると推測することはあった。それは地名の理解につながるのでそんな関心を持ったのである。

 でも、アマミとアマンでは語尾が異なること、また、奄美大島は諸島の人々には、「ウウシマ」と呼ばれていただけで、それを「奄美大島」と「奄美」と付けたのは、文字を持った弥生文化勢力だと思うと、地名の初源からは遠ざかるので、それ以上の追究をせずに、奄美大島の地名は「大島」だけを対象に理解していた。

 ※「奄美の島々、地名の由来」

 ところが、

 こうして、きわめて古い時代から琉球列島に分布し、根深く息づいていた神話を、新たに鉄器、稲作などを持って、北から南下してきた新来の渡来者が、創世神話のなかに取り入れたとしても不思議ではない。そのように考えれば、古くからの神話を持っていた土着の人々と新来の勢力という「被支配者=支配者」関係が生じることになろう。琉球開闢のオモロで、アマミヤ・シネリヤの子孫を生むなというのは、ある意味で当然のことである。実際、琉球王府が編纂した正史の開闢神話のなかに、アマミキョ・シネリキョが子孫を繁栄させたと語られているものがないことは強調してよい。

 「原初洪水型の兄妹始祖」神話は、日本、琉球、インドネシアなどに分布するが、この分布から考えて、琉球列島を北上した可能性がある。また、「土中からの始祖」神話も、同一の伝播ルートであることに疑いようがない。これまでは、あまりに新来の人々に結びつく「天」「海」と、現実に存在する「奄美」という言葉に目を奪われ、その古層にあって母胎となった神話に視線が届かなかったのではなかろうか。そもそも、琉球列島において「海」を「あま」と呼んだ事実を確認することはできるのだろうか。ちなみに、古代朝鮮語の立場から徐延範は、「アマミ」 は「アマ(母)」「ミ(土)」と解し、「母なる土地」の意味にとるべきではないかという。ここでも、「ミ」を「土」と解していることは興味深い。また、「アマミキョ」「シネリキョ」の「アマ」「シネ」の対は、女と男の対ほどの意味であるとする。

 吉成さんが言うように、もともとの神話を南下勢力が支配神話のなかに取り入れたものと理解すると、内発的な言葉として「奄美」を取り上げてよいのではないかと改めて考えた。

 学者としての慎重さからか、吉成さんは明言していないのだが、これまでの文脈からすれば、アマミとは、「ヤドカリの土地」の意味になることを示唆していると思える。そしてそれはとても魅力的な理解にぼくには思える。「大昔」と解するよりも、地勢を地名とする初期原則にも近い。しかもアマという言葉は、吉成さんも挙げているが、「天」「海」「雨」などとつながってその正体をなかなか明かさない謎があり、長く煩わされてきた言葉だけに、溜飲を下げる。

 「アマミキヨとは何者か」ひとつ採ってもここには、琉球弧探険には興味の尽きないテーマが含まれている。それはうなずくものもあれば、オナリ神信仰はそんなに古くないとする頷けない仮説もあり、どちらにしても、ゆっくり辿りたい考察が盛り込まれている。いつかきちんと辿ろうと思う。

◇◆◇

追記(2008/06/02)

 末尾に付けられた「琉球・沖縄関連語彙解説」にはこうあった。

 古代朝鮮語では、アマとシネの対は、女と男ほどの意味の対であり、またアマミは、アマ+ミであり、「母なる土地」という意味に解することができる。

 と、本文中はアマン=ヤドカリの解説に積極的で、アマ=「母なる」解し方は抑制的な紹介にとどめていたのに、末尾に来てあっさりとアマミを「母なる土地」と解されていて肩透かしを喰らった。「母なる土地」、とてもロマンティックだが、これは地名の名づけ方としては大島の地勢から離れ抽象的でまるで現代的な付け方に思える。ぼくはここでは、名称のロマンへ飛ばずに、古代奄美人の世界観にとどまり、アマミ=ヤドカリの地の仮説を追いたいと思う。 



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コメント

こぶさたです。

吉成直樹先生、最近、奄美によくいらっしゃいます。

先生の新著『琉球王国誕生』、ご覧になりましたか。

投稿: NASHI | 2008/05/19 21:44

NASHIさん、喜山です。

嬉しいコメント、ありがとうございます。お待ちしていました。

『琉球王国誕生』は値が張って手が出せずにいます。時々、立ち読みにしています。

投稿: 喜山 | 2008/05/19 21:59

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