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2008/04/28

薩摩の奄美理解者-名越左源太

 弓削政己さんの「奄美から視た薩摩支配下の島嶼群」を辿って、奄美の二重の疎外は、それだけではなく、二重の疎外の隠蔽も強いられていたことを知りました。ここで二重の疎外により引かれる境界は、隠蔽により透明化されます。これに対応するには、奄美の島人が自身を透明化するしかありません。それはつまり、島人が自身の存在価値を空虚化することを意味するはずでした。事実、そうであったのですが、弓削さんの考察からはそれだけではない側面も見えてきました。透明化された境界には、無数の穴がありそれが浸透圧を発生させるみたいに、大島と徳之島のような内部と大島と屋久島、沖永良部島と沖縄のような奄美外部との間に物資の行き交いが生まれました。そこに、二重の疎外を越えて呼吸しようとする島人の抵抗を感じることができます。

 ぼくはもう少し詳しく二重の疎外下にある奄美の実態に迫ろうと思います。頼りにするのは、松下志朗さんの『近世奄美の支配と社会』です。

『近世奄美の支配と社会』(松下志朗)

Photo_8










 薩摩支配下後期の奄美(大島)の実態は、ある人物のおかげで記述と絵の両方で知ることができます。流人として奄美大島に滞在した名越左源太(なごやさげんた)です。

 名越左源太は『遠島録』をみると、詐虚な人柄であったことが知られる。五月八日小宿村藤由気宅を借りるときも三畳問の小部屋を希望し、藤由気の好意で一軒家を明け渡されたことを気にして「拙者壱人には別して広過ぎ候」と記しているくらいである。『遠島録』によれば、いろいろな人物がその蟄居先を訪れているが、その中でも村人たちとの交歓は情こまやかなものがあって、近辺の者が野菜や魚などを手土産に気楽に立ち寄っている様子が生々と描写されている。たとえばハブに喰いつかれた老人の様子が痛々しかったので、菊池を贈ったところ、早速お返しに刻み煙草をもらい、「皆少しの事に別して悦び申し候」、「村中の著共、追々見舞申し候て、一銃叮嚀の向に御座候。別して仕合せに御座候」と記していることなどにも、その有様がよくうかがえる。

 名越左源太の日々の生活は、陣監経の読経と村人との交歓にほとんど明け暮れしているが、なかでも藤由気の養子、嘉美行は左源太の居所に入り浸りだった。すでに五月十六日には「碁より寡美行へ大島言葉を習ひ申し候」と記されているが、連日連夜のように咄相手として左源太を訪ねており、七月に入ると「嘉美行と両人にて事物共見申し候」とか「暮過より嘉美行へ算術を習ひ申し供」といった記事が毎日のように記されていて、茅英行に手習を教えたり算術を教えられたりの日日であった。嘉美行に代表されるような村人たちとの交歓は、八月踊にもよくあらわされている。

 八月踊の酒宴に村人たちから再三招かれて、それを断りきれずにやや当惑しながらも招待に応じている人の良い左源太の姿が『遠島録』の記事から浮かび上ってくる。一日中雨に濡れながら踊り抜く島民の「元気強さ」について驚嘆しているが、そのような異質な文化や生活に対する率直さは、左源太をして珍しい貴重な記録を残さしあることとなる。彼の大島における見聞は「南島雑話しとして、歴史学・民俗学・動植物学などについての多くの知識を私たちに残してくれたが、それは叙述の客観性のみではなく、その淡々とした記述の背後に先述したような村人たちとの交歓があり、彼の村人たちへの温い眼差しは、深い感動をよぷものがある。
『近世奄美の支配と社会』(松下志朗)

 その名越の人柄は、こんな綱引きの絵にも現れている気がします。

 「綱引きの絵」

 「異質な文化や生活に対する率直さ」が松下さんの言うとおりなら、世が世なだけに、かつ、その後、制度的な根拠を無くしても続く奄美蔑視の慣性の強度を鑑みると、名越の態度は稀有に思えます。名越は薩摩支配下南島における、他に例のない理解者だったのではないでしょうか。

◇◆◇

 ところで、名越左源太のことを知るなら、bizaさんの「幕末奄美遠島生活」が最高です。「大島遠島録」や「南島雑話」を追って現代語訳してくれているのですが、なんといっても名越を「左源太さん」と呼んで親しんでいる姿勢に、ほっとさせられるのです。これも名越左源太の人徳になせる業でしょうか。追っかけは一世紀半経ってもできる。そんなことを教わる気がします。

 「幕末奄美遠島生活」



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コメント

こんにちは!左源太さんおっかけのbizaです。
「左源太ミーハー」は自認してましたが、追っかけ・・・確かに(^^;)。
沈没中にも関わりませず、ご紹介ありがとうございます。

でも「遠島録」を読んだら、「やけに親しげ」といわれても、さんづけせずにはいられませんでした。ただの「歴史上の人物」で片付けられない身近さと言うか、やっぱり人徳なのでしょうか。

そして、「遠島録」をとおして『南島雑話』を読むと、本当に違うんですよ。左源太さんがいかに奄美を愛していたかが、記述の向こうに見えてくるようなのです。

松下先生の名文も、是非多くの方に全文読んでいただきたいですね!
(スミマセン、熱くなりすぎて長文でした)

投稿: biza | 2008/04/29 13:16

bizaさん

そ、そうでした。ミーハー、でした。つい、追っかけと。(^^;)

奄美のことを考えると、名越左源太が重要人物として浮かび上がってきます。bizaさんに、左源太さん話を、いちどゆっくりお伺いしたいと思っています。よろしくお願いします。

投稿: 喜山 | 2008/04/29 21:25

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