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2008/04/30

島津軍、乱暴狼藉の規制

 松下さんによれば、島津軍は、琉球侵攻に当り、規律を守るよう軍律を発布しています。

 前にも述べたように、島津家久・同義弘・同義久は連署して「琉球渡海之軍衆法度之条々」一三ヵ条の軍律を発布したが、それは軍団の指揮命令系統を明確にして規律を守ること、とくに喧嘩口論や鉄砲のめくら打ち、島々の百姓などに対する乱暴狼籍や堂宮尊、経・書籍などの取り扱いなどを規制しており、ただでさえ粗暴なところのある軍団の綱規粛正を図ったものであった。このことは藩政担当者の単なる杷菱にとどまるものではなかった。たとえば種子嶋の領主久時は家臣数十人を琉球侵攻に参加させたが、そのうち家臣六郎右衛門を琉球における所業を理由に放逐しており、その後その子孫にも領主への面謁を許さないことを遺言している(「徳子嶋家譜」四)。その所業の内容については記事が簡潔なために知ることができないが、琉球での軍規違反であろう。また、市来家元が記すところでも、首里城内には混乱をおそれてか「大将分の御大衆」ばかりが入城して、その出入りの検査については厳格を極めたとしている。『近世奄美の支配と社会』(松下志朗)

 以前、16世紀末の薩摩で、武門の子弟に向けられた「二才咄格式定目」を読み、定目成立の背景には、ささいなことで諍いや喧嘩に及ぶ武門の青年たちの実態が控えていると考えてきました。

 「二才咄格式条目」とは何か
 <こわばり>としての薩摩の思想

 これを踏まえれば、「喧嘩口論や鉄砲のめくら打ち、島々の百姓などに対する乱暴狼籍や堂宮尊、経・書籍などの取り扱いなど」の規制をなぜ改めて行なわなければならないのか、頷ける気がします。特に、「武人的知謀」の長州、「理論的武断」の土佐、「文弱的知謀」の肥前に対し、「実際的武断」と呼ばれたように観念的行為を軽視する薩摩の武門であれば、軍律は必須で要請されたのかもしれません。

 侵攻について、ぼくたちはともすると武門の粗暴さのまま無規律に破壊の限りを尽くしたのではないかと想像しがちなので、ここでは侵攻時に軍律が発布されたことを押さえておきたいと思います。



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