« 山之口獏の「会話」のつづき | トップページ | 琉球と大和の二重意識 »

2008/04/16

沖縄アイデンティティ0%超50%以下地帯

 昨年、奄美とは何かと問うてみて、ひとまず「真珠とガラパゴス」と書きました。ただこれは、高島から低島まで、森から珊瑚礁までの自然の幅を表現したもので、本質的な答えにはなりません。これをひと言で言おうとすれば、たとえば、北部亜熱帯ヤポネシアなどと言うこともできるわけですが、これもことの本質を言い当てていることにはなりません。

 むしろ、奄美とは何かという問いに本質的に答えようとすると、自然環境に拠ってしまうところに、らしさが現れています。なぜなのか。それは、問いに本質的に答えるための内在的な素材が希薄だからです。触れるべき内在性が不足しているということ。そしてそれは、奄美が文化的な蓄積を育む環境に無かったことが最大の理由だと考えます。生産物の収奪と古文書の没収は、奄美が、自分たちの歴史を足がかりにしながら新しい何かを付加していく力を著しく損ねたと思うのです。

 奄美とは何か。それに答えるには、答えるための材料に乏しい。そうであるなら、その結果、奄美人はどんな意識構造を持っているのか。そういう問い方をしてみます。

 奄美人のアイデンティティの信憑のひとつの形は、

 奄美は沖縄ではない

 という形をしています。けれど、それだけでは収まらず、この信憑はその反動のように、

 奄美は沖縄である

 という逆の信憑も生んでいます。

 と、ここまでくると、これを「奄美」という表現でくくるのは抽象的になってしまうので、もう個別の具体的な島名で表現するのが妥当に思えてきます。

 たとえばそれは、

 奄美大島は沖縄ではない
 与論島は沖縄である

 という形をしています。

 もちろんこうしても、奄美大島人の全体が、「奄美大島は沖縄ではない」と考えるわけではないし、与論島人の全体が「与論島は沖縄である」と見なしているわけでもありません。

 するとむしろ、

 奄美は、沖縄から鹿児島までである

 と、これまた幅で言うしかないことになります。
 この幅はアイデンティティを捉えたものですが、それなのに「奄美は沖縄と鹿児島の間にある」という地理的な表現と同一になるところ、ここでも奄美らしい落ちに出くわします。

 ところでここで言う沖縄とは県としての沖縄というより、琉球と言っても構わない文化圏としてのそれを指していると捉えて、沖縄アイデンティティといえば、奄美とは、沖縄アイデンティティ0%超50%以下地帯と言うことができます。

 (奄美アイデンティティ)  0%<(沖縄アイデンティティ)≦50%

 0%以上ではない、0%超。奄美は、沖縄アイデンティティが潰える場所ではないから。もうひとつ。50%以下は、50未満ではない。半分以上、沖縄アイデンティティであるという信憑もあるからです。

 この表現もまた奄美の本質的な表現にはなりえませんが、ひとつの補助線として引いておきます。




 

|

« 山之口獏の「会話」のつづき | トップページ | 琉球と大和の二重意識 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/40859277

この記事へのトラックバック一覧です: 沖縄アイデンティティ0%超50%以下地帯:

« 山之口獏の「会話」のつづき | トップページ | 琉球と大和の二重意識 »