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2008/04/19

「奄美人の主体」の解体へ

 昇曙夢の『大奄美史』はまだ読んだことはありません。でも本人が『大奄美史』の「内容を省略した廉価本」として出した『奄美の島々・文化と民俗』は、幸いなことに父が遺してくれた蔵書のなかにあり、読むことができました。

 昇曙夢といえば、「日奄同祖論」を思い浮かべますが、その基本的な考えは、第二章第二節、「奄美人の主体」で開陳されています。

    二、奄美人の主体

 人類学者や考古学者の研究によれば、日本民族は単一の種族のみから成立っているのでなく、固有日本人を中心として、それにいくつかの先住民族の血液が混合されているとのことである。かって無人島であった日本に最初に渡って来たのが、現在北海道の一部に追込められているアイヌであった。アイヌは白哲人種の一つであって、いつとも知れぬ太古に西アジアから東進してシベリアの東端に辿り着き、今から三、四千年前に一部は間宮海峡を渡って日本に入り、一部は朝鮮海峡を経て本州全土に拡がり、南は九州の薩摩にまで延び、更に遠く奄美大島や沖縄まで移住したのである。アイヌの外に南洋方面からインドネシアンが海潮に乗って渡来したが、この種族は九州に渡る途中沖縄や奄美大島にも立寄ったので、その落ちこぼれがこれらの島々にも残っている筈である。

 しかしこれらの種族は決して日本民族の基本をなしているのではない。日本民族の主体をなしているものは、古代において支那の歴史に東胡と呼ばれていた大民族である。これは清洲やシベリアに占拠していて、古代支那を絶えず脅かしていた旬奴と同じ系統のものだと言われている。この種族の日本に渡来したのが、すなわち原日本人または固有日本人という学術名で呼ばれているも…のである。彼等の一部はアイヌとほぼ同じ時期に、やはり間宮海峡を渡って出雲を中心に植民し、最後に最もおくれて、朝鮮半島から対馬海峡を渡って九州に上陸し、日向地方を中心に勢力を張ったのがいわゆる天孫民族であろうと言われている。中でもこの天孫民族が最も優秀な智力と武力とを有する種族であって、その一部がわかれて遠く南の島々に渡ったのが奄美人や琉球人の主体であり、またその祖先である。

 勿論奄美人の体質中に先住民族、特にアイヌの血を多少共混じていることは争われないが、しかしこれはひとり奄美人ばかりでなく、アイヌを等しく先住民として有する日本人全体についても言われることで、奄美人や琉球人のみに限ったことではない。わが国人類学の泰斗坪井正五郎博士は言っている-

 「我等日本種族の中には少なくともアイヌ・馬来・朝鮮の分子があり、この三大分子の混じて組合わされたものがすなわち日本種族である。アイヌの分子は鬚髯多く、容貌アイヌに革似し、東北地方及び西南地方に比較的多く、朝鮮分子は主として顔細長く、蜃多からず、九州北部より日本海方面に多く、マレイの分子は頬骨高く、鬚髯また少なく、近畿・四国・九州地方の太平洋岸に比較的多い。ただ爰に注意すべきは、その温種別合いに二分八分、三分七分等の割合いはあろうが、直ちに或る特定の人を指してアイヌなり、マレイなりと断定することは誤である云々。」
 

 いずれにしても奄美人の主体が固有日本人であり、特に最後に渡釆した天孫民族の子孫であり、その一支族であることは間違いなく、これについては明治廿七年沖縄に出張して、種々の方面から琉球を研究した帝大講師チャンバレン氏も言っている -

 「彼等(日本人と琉球・奄美人)の祖先は昔て共同の根元地に住んでいたが、紀元前三世紀の頃大移動を企て、対馬を経過して九州に上陸し、その大部分は道を東北に取り、行く行く先住民を征服して大和地方に定住するに至った。その間に南方に彷径しっつあった小部分の者は、恐らく或る大事件のために逃れて海に浮び遂に琉球諸島に定任したのであろう。これは地理上の位置に於ても伝説の類似に於ても、又は言語の比較に於ても容易に立証することが出来る。」

 その他体質人類学、言語学、民俗学、血清学の上からも、また手掌理紋や古人骨や石器の研究からも、日本民族と南島民族の同根同族であることが明らかに立証されているが、ここでは省略することにした。(昇曙夢『奄美の島々・文化と民俗』1965年)

 「日奄同祖論」は、伊波普猷の「日琉同祖論」を下敷きにしているでしょう。「日琉同祖論」が、琉球人は日本民族と祖先を同じくすると主張しているとするなら、「日奄同祖論」は同じように、奄美人は日本民族と祖先を同じくすると主張するものでした。

 いまでは学問の世界では「日琉同祖論」は批判つくされているそうですが、その延長に「日奄同祖論」を批判したいのではありません。「日琉同祖論」も「日奄同祖論」も、それ自体は当たらずとも遠からずと思って済ませてきました。ぼくはそれより、「日奄同祖論」が奄美で持った意味のほうに関心を持ちます。

 昇の「奄美人の主体」を読むと、随分と差別的な内容で戦前の国家主義の環境下にあって書かれたものではないかと想像しますが、そうではなく、この本が出版されたのは昭和三十三年、1958年です。1958年といえば、戦後であることはもちろんのこと、復帰して5年gが経過しています。昇は「奄美大島日本復帰対策全国委員会」の会長も努めていました。つまり、「奄美人の主体」は、復帰運動の思想的なバックボーンとして作用し、復帰後にも昇のなかで生きたということです。

 ぼくはそのことに驚き、躓きます。戦前の国家主義の名の下に展開されたかのような思想が、戦後の復帰運動に機能したということなのですから。本土は戦後でも、奄美はこのときまだ戦時下にあったという見方もできますが、国家主義的な思想が復帰運動のバネになったということは、奄美のこれからを考える上で立ち止まって考え直してみる価値があると思います。ぼくたちがいるのは、復帰と地続きの世界に他ならないからです。

◇◆◇

 昇の言う日本民族は、単一ではなく、先住民族の存在があり、それとの交流のなかで培われたものだとしているのが特徴です。決して単一民族であると強弁しているわけではありません。しかしその代わりに、日本人のなかには「固有日本人」があり、それが日本人の主体をなしていると言います。そして、奄美人の主体も「固有日本人」に他ならない。それが昇の「日奄同祖論」の骨格です。

 現在もぼくたちがいる復帰後の世界で、その復帰の思想的バックボーンをなしたのが、この「奄美人の主体」という考えであったなら、ぼくたちが奄美の未来を構想するときに、まず乗り越えていかなければならないものもここにあると思います。ただ、それは難しいことはではなく、種族間に優劣を持ち込むのは誤りである、と指摘すれば済むと思えます。

 だいたい「落ちこぼれ」と言われると、顔立ちからいってぼくもその「落ちこぼれ」のひとりと思ってしまいます。それに、昇さんの顔だって、

Photo_3













言うところの「おちこぼれ」系、奄美の非主体の側の顔立ちですよ、と言いたくなります。これは意地悪ですが、昇さんが主張している蔑視の意地悪へのささやかなお返しです。

 自分の血のなかには、優性と劣性が混じっているという自己認識はきついものであるに違いありません。こんな自己認識は、自己嫌悪、自己侮蔑を招かずにおきません。そして、この自己嫌悪、自己侮蔑は容易に他者への嫌悪、侮蔑に転化して表出されるでしょう。

 ところで、奄美をめぐる言説を辿ってゆくと、「違う」という主張が多いのに気づきます。曰く。奄美と沖縄は違う。北奄美と南奄美は違う。いや同じ島の中だってシマごとに違う。その厳密な差異の説明を学びながら、ふと、こんなに似ている者同士、どうしてこう、「違う違う」とばかり、差異を強調するのだろう、と不思議になることがあります。

 奄美が自己形成過程にあるからと理解すればいいでしょうか。それなら、自己形成過程においても、自己嫌悪、自己侮蔑的な自己認識はないほうがいいに決まってますから、昇の「奄美人の主体」を過去のものとすることは大切な作業であるに違いありません。

 日本人も琉球人も奄美人もアイヌ人も優劣の差はありません。そもそも日本民族という概念が、国家としての日本を前提にしたもので、だから日本国家を成立させた政治勢力の種族が、優勢であるかのような仮象を生むというに過ぎないでしょう。素朴にいって、「先住民を征服」するのを「優秀」と見なすのには頷くことはできません。

 ぼくたちは、奄美人はどんな人々から成り立って、どんな世界観を築いてきたのか。それを、種族間を等価と見なしながら、奄美人とは何者か、奄美とは何かを明らかにしていくことが、「奄美人の主体」の向こう側へ行くことだと考えることができます。



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コメント

 クオリアさん

 ガシガヨ ガシリ ガシリバドゥナユイ・・・
シリ、シリバは、「しろ」、「しなさい」で
シランは、「しましょう」で、シチャンムイは、
「したの(すんだの)?}ですよね

 人類学者、歴史学者、民俗学者、考古学者、
言語学者、血清学者・・・ムールアルカイ(全部
あるだけのもの)寄せ集めても、ユンヌ言葉には
ハノージヤ(叶わないのでは)と思います

 身内が身内を褒めることは信用できません
事実を語り、事実として伝えたいのです

 「マコトウチジャシバ ヌ パジカキュンガ」
とユンヌンチュは、云い伝えて来ています

 その典型的な言葉は、「ユクシンナ」と思います
その意味は、ご承知とおりです。
「嘘を謂うな!」のことですよね。
「ユクヲイウナ」ではなく、「シンナ=するな」で
あることに、その真意があるのではないでしょうか

 ユンヌンチュの「まこと」は、誠でもあり、実、
真、信でもあり真実だとムーユシガ イチャーゲーラ

「ユクシンナ」の真髄は、「欲をするな」と思います
小さくても、自分の生きている島=世界で自分だけが
満足して、自分だけがチュナギヌ着ているから綺麗だ
と思ってはいても、「アッセー チュラピチュ」です
から、ユンヌ言葉は雅でもあり奥が深いですよね

 字を書けるどころか、字を読めないうウヤエーフジ
(親先祖)がこんな意味深長な言葉を遺してくれたの
でしょうか
「学者」とは、学ぶ謙虚な方を云うのではないのかと
思っていますので、ションの学者は自分の言葉で語る
人のことではないかと思っています

 成り行きですが、タビンチュのアグンチャーと来週
は島巡りです
「海の青さと砂の白さはあるけれど、どこにでもある
だけの海間(うみあい)の小さな島でなにもないよ」
と云うと「だから、行きたい。それでいいんだ。」と

 吉田卓郎が「襟裳の春は 何もない春です」と作っ
た作品を森信一が唄いはじめの頃に、襟裳の人達から
反撥されたという今は昔の出来事が思い起こされます

 与論には何もないよと云ったことが、島の人達から
何ということを云うのだと、イイクルサレルはしない
かとスーワー(心配)です。
ヌーン スーワーシチュランシガ、ガシユマンダリボ
イチョウラレンガネーシ ムーワリティナージチョウ

 旅育ちでも、合羽絡げてユンヌンチュのウフターや
パーパーターに、ミーマモラリティ イキチキチャク
トゥ ションシ 親先祖のお蔭でした

 島に帰ることができるので、イショウシャイみたい
なのでしょうか
島の昔唄の「シヌマンダイ」の歌詞にありますよね
「イショウシャイ イショウシャイ イスギヌ ナー
ササ(うれしくて うれしくて はやく はやく)」
こんな意訳をすると、シマンチュが「ウリャ ヌガ」
と云うかもしれませんね

 つい、長話になりました。タンディ ドウカデール

投稿: サッちゃん | 2008/04/19 23:35

サッちゃんさん

みーまぶらりてぃというのは、しょんしそう思います。帰れるのはいいですよね。

ゆっくり帰ってらしてください。たびんちゅのみなさんに喜んでもらえるのも嬉しいですよね。『めがね』ができたので、何もないのがいいところということ、ゆんぬんちゅも分かってくれるのではないでしょうか。

また、島ぬむぬがったい、しちたばーり。どーか。

投稿: 喜山 | 2008/04/20 23:21

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