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2008/04/15

山之口獏の「会話」のつづき

 奄美のアイデンティティを考えると、山之口獏の詩「会話」を思い出します。

  会  話

お国は? と女が言った
さて、僕の国はどこなんだか、とにかく僕は煙草に火をつけるんだが、刺青と蛇皮線などの聯想を染めて、図案のやうな風俗をしてゐるあの僕の国か!
ずつとむかふ

ずつとむかふとは? と女が言った
それはずつとむかふ、日本列島の南端の一寸手前なんだが、頭上に豚をのせる女がゐるとか素足で歩くとかいふやうな、憂鬱な方角を習慣してゐるあの僕の国か!
南方

南方とは? と女が言った
南方は南方、濃藍の海に住んでゐるあの常夏の地帯、龍舌蘭と梯梧と阿且とパパイヤなどの植物達が、白い季節を被って寄り添うてゐるんだが、あれは日本人ではないとか日本語ほ通じるかなどゝ談し合ひながら、世間の既成概念達が寄留するあの僕の国か!

亜熱帯

アネッタイ! と女は言った
亜熱帯なんだが、僕の女よ、眼の前に見える亜熱帯が見えないのか! この僕のやうに、日本語の通じる日本人が、即ち亜熱帯に生れた僕らなんだと僕はおもふんだが、酋長だの土人だの唐手だの泡盛だのゝ同義語でも眺めるかのやうに、世間の偏見連が眺めるあの僕の国か!
赤道直下のあの近所
(山之口獏「会話」1938年)

 よく知られている詩「会話」は、好奇心と蔑視の餌食になりたくないために、出自を隠す沖縄人のアイデンティティのありかをよく物語っています。山之口によれば、この詩の発端にはこんなエピソードが控えていました。

 ゴンドラではこんなことがあった。ある役人(ゴンドラの常連)が、沖縄へ出張したが、帰って来てのみやげ話を、ゴンドラでした。「酋長の家に招かれてバナナだのパパイヤだの、泡盛だのを御馳走になって大変な歓待を受けた」というふうな話し方なのである。
 ゴンドラの女将さんはもちろんのこと、ぼくの恋人であるその娘も、そして沖縄人であるぼくも、それをきいているのである。女将さんや娘は、珍しそうに、目を輝やかせて沖縄の話をきいているのであるが、困るのは詩人のぼくなのであった。ぼくにはそのころの詩で「会話」というのがある。(「ぼくの半生紀」『山之口獏』所収)

 これは昭和11年、1938年頃の話です。当時の山之口は「僕の女」にすら言えないというほど、アイデンティティに悩んでいました。そしてその後もこの型のエピソードは再生産され続けます。ぼくも、随分ゆるやかになったとはいえ、鹿児島に転校したとき、同級生に「あそこは何語を話しているの?」という悪意のない質問を受けたものです。近代期南島の島人はこれと似た場面にどこかで出くわし、同じような、あいまいな答えをした心当たりがきっとあるのではないでしょうか。

 そのことを糾弾しようというのではありません。こんなエピソードは、自分の加害の立場になるときがありうる内省なしには、正当に言及できないと思います。ぼくもどこかで誰かに我知らず逆の立場を演じたことがないとは言い切れない気がします。

 ぼくは、この「会話」という詩にあるシンパシーを感じてきました。それというのも、ぼくも、「お国は?」と聞かれて、「ずっと南」とか「亜熱帯」とか「沖縄の方」とかあいまいな言い方を繰り返していたことがあるからです。

 でも理由は、山之口のように、「沖縄」と名指されたくなかったからではありません。与論が「鹿児島」であると見なされたくなかったからです。「あそこ鹿児島なの?知らなかった」という認識されるくらいなら、「沖縄」的であるという行政上の所属は誤解だけれど、文化的には正解のまま漠然とした理解でいてくれたほうが、アイデンティティの居場所を見いだしやすいのです。それだから、後年、与論がリゾート地として脚光を浴びたのに乗じて「ヨロン」と記号化されるや外国の島と見なされたり、昨年の映画『めがね』で、「どこかにある南の島」と住所不明のように扱われたりすることに、むしろ心地よい座りのよさを覚えてきました。

 しかも、山之口のように「沖縄」が表面化されるのを恐れることはなく、「与論」は明示したい強調したいポイントでした。ぼくの場合、与論が所属する場をめぐって、山之口の「会話」が反芻されたわけです。もちろんそれは、「与論」に対する本土からの視線がリゾート地への憧れ含みになっていたから表明できたということに過ぎず、構造としては、「会話」の続きであることに変わりないと思えます。「会話」の悩みを引きずっているわけです。

 ところでこの感じ方は与論一般ではないでしょう。ぼくの弟たちは与論生まれですが、こうしたこだわりは理解できないはずです。理解できないというより、こうしたこだわりのきっかけが彼らには訪れなかったでしょう。だから、ぼくも弟たちにぼくの感じ方が妥当であると主張することもありません。

 それに奄美一般からすれば、ことは逆で、むしろ奄美は鹿児島であることを強調するほうに傾いているのかもしれません。ぼくが、与論は沖縄と漠然と見なされることを期待したとすれば、その漠然とした理解に楔を打ち込むように、奄美は沖縄ではない、鹿児島であるという主張が成り立つわけです。これは人々の漠然とした理解を誤解として退けるために、珍しく自己主張する必要がありました。

 この、奄美は鹿児島であるという主張と、奄美は鹿児島ではないとする見なしは、考えてみれば、奄美の二重の疎外が生み出すアイデンティティの二重性です。大和と沖縄に引き裂かれるという構造が存在する限り、アイデンティティはこの二つの類型を析出せずにおきません。

 この居心地の悪さを、従来、奄美人は、大和人になることで、そして近代以降は、奄美人の琉球的な母型を自己否定して日本人になることで解消しようとしてきました。しかしそれは自己喪失に他なりません。自己否定して大和人・日本人になるのは解決ではありません。

 ぼくの考える二重の疎外の脱出は、外に脱出口を見出すのではなく、内を掘ることに糸口を持つと考えます。

・奄美を内在的に語ること。
・奄美と沖縄の同じところを明らかにすること。
・奄美が大和との交流で果たしてきたことを積極的に評価すること。

 奄美の内実を豊かにすること。奄美の内部が満たされれば、語るべきことが生まれ、外への連結手も自然に伸びてくると思えます。それが奄美のアイデンティティを安定的にする方法ではないかと思います。

 山之口獏の詩から七十年経って、ぼくたちは彼の悩みは半分、終わっていると言うことができますが、もう半分は「会話」の続きの話をつくっていかなければならない気がしています。



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