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2008/04/04

琉球の北限・大和の南限

 奄美にとっての道州制を考えていくと、それが「琉球か大和か」というテーマの更新形であることに気づかされます。歴史上、「沖縄か鹿児島か」、「アメリカか日本か」と問われることもありましたが、そこには「琉球か大和か」という問いが通底しており、それらはその変奏形に他なりませんでした。もっとも、「琉球か大和か」というのは、二者択一を迫るような選択肢だったわけではなく、お前は何者かと問われると、住所不定のようにあっちでもないこっちでもないと揺れだす自己として意識にのぼってきたのでした。

 唯一その例外に見えるのは、琉球政府から日本復帰を果たしたときですが、これは自発的な意思と言えるようなものではなく、自失の極致だったとぼくは思っています。そういう意味で、道州制は奄美にとって初めて自発的な意思を表明する機会になりうるのです。

 もともと、さまよいだす自己が「琉球か大和か」と問いだすのも、史上、大和が奄美に南進しては放置するということを繰り返してきことが背景をなしています。第一次は大和朝廷勢力の南下によるもので、第二次は薩摩藩による琉球侵攻です。第一次から琉球王朝の成立まで、その関係は奄美の島間によっても濃淡がグラデーションをなすゆるやかなものだったかもしれません。第二次以降、奄美は、つかの間、琉球政府に属することもありますが、それは歴史時間から見れば瞬きするほどの時間で、今の鹿児島県下にあるという状態は、薩摩藩の琉球侵攻以来、継続されているようなものです。

 ぼくたちは、大和の南限が伸縮したことによって生まれた苦難に配慮しようとすると、つい薩摩の琉球侵攻に目が行きがちですが、そしてそれは重要な問題ではありますが、根深い外傷としてあるのは、日本人信仰なのかもしれません。それは、あの昇曙夢の「日奄同祖論」(「二重の疎外の力学」)のみみっちさに典型的に現れています。あのみみっちさは、下図でいえば、自分たちを何が何でも南下する大和朝廷勢力の末裔と見なしたい動機に基づいていました。下図でいえば、「日本人b」に自分たちの出自を求めたことを意味しています。でもそれは土台、無理があるというものです。「日本人b」の前に、奄美・琉球弧にも、今の日本人を構成する「日本人a」の存在を無視することになるからです。昇の「日奄同祖論」も「日本人a」を無視したい衝迫にかられたものでした。

 下図は、紀元前1000年前から始めていますが、時間は実際にはもっともっと遡れることは言うまでもありません。大和朝廷勢力よりはるかに長い時間の自分たちの歴史を等閑視して、安定したアイデンティティがつくれるわけがありません。与論の島人の書いた書籍にも「日本人b」への願望が色濃く滲んでいるのが否応なく感じられてきますし、今でも島人の言葉の端にそれを感じることもあります。痛ましいと思いますが、もう自由になっていいと思わずにいられません。

 「大和」の対位項として登場するのは「琉球」です。ただ、「琉球」は自称が無かったから「琉球」を使うまでのことで、この言葉がいちばんやっかいなのは、それが琉球王朝に収斂するように機能することかもしれません。しかし、琉球王朝に収斂するのは、「日本人b」にアイデンティティの根拠を求めようとするのと同じみみっちさを招きかねません。「琉球と大和」を対立項のように見なして「大和」が「日本人b」に収束するのを鏡にすれば、「琉球」は「日本人a」に収束してしまおうとするでしょう。しかしそれではこんどは逆に、自分たちを「日本人a」のみで自己規定する窮屈さを生んでしまいます。

 その上、「琉球」が「琉球王朝」に収斂しても、せいぜいが琉球も国家を築くことができたということ言うに過ぎません。これを過大視すると、琉球州の根拠を「琉球王朝」に求めることになりますが、それでは歴史的に言ってもやったことの中身からいっても、大和朝廷勢力と代わり映えしないことになってしまいます。

 「琉球」の北限をぼくたちはふつう、黒潮の横切る、あの七島灘に求め、島尾敏雄に倣って「琉球弧」と呼んだりしますが、それで琉球王朝の版図を指したいわけではないのです。むしろ、琉球弧の実現した世界観にこそ魅力があります。それならいっそ、「日本人a」の時間に「琉球」を放つことが必要ではないでしょうか。琉球を時間軸に遡行すれば、たとえば、三母音に磨きをかけた地域と言うこともできます。すると、それは七島灘を北上し、与那国島の三母音と近似する言葉を持つ東北語と共鳴します。このとき、琉球は、東北まで北上しそこに北限を刻むのです。

 「琉球か大和か」を考えるとき、「大和」に「日本人」を限定しないこと、「琉球」を琉球王朝の版図ではなく、もっと長い時間をかけて琉球弧の果たした役割のことを思い描くことが必要なのではないでしょうか。


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コメント

 クオリアさん

 みみっちい話ですが、限られた人生で島-勿論、
ユンヌの島のことですが-にいるだけで貴重な時間
を過ごしているのだと実感します

 今日的な州制のこと、薩摩の琉球のこと、大和と
琉球処分のこと喫緊の課題が山積していて大変では
ありますが、いっその奄美群島と琉球諸島ぐるみで
アメリカ合衆国の新しい州としての旗を掲げれば、
大和やヤマトゥンチュとの縁もどうでもよくなるの
ではないかと思いますが、どうなんでしょうかね

 北限、南限の議論の幅の広さや見識にも敬服しま
すが、桃源ではなくて・・東限、西限の幅の具合は
奈辺にあるのか日本語も変換さえままならないよう
なので言葉が続きませんが・・・
 温故知新に如かず、だと、そう思います
個性の尊重とは、自己と利己・・・差異は何なので
しょうか?

 ガシュクトゥヨ、ガシュクトゥ、ヌガ!
ガシ シュウクトゥドゥ、ガシデーシガ、ガシャル
フトゥシャア ナーヌ ナラヌ
ウリヨ ウリティボ! ガシドゥ ナユイ
ガシガヨ・・・ガシガヨデール

投稿: サッちゃん | 2008/04/05 01:04

サッちゃんさん

ブーメラン効果。自分の放った言葉で、みみっちいのは自分だと気づかされる瞬間です。

琉球アメリカ行きは、そうなったらそうするさという意味ではあるんだろうと思います。今のアメリカには共感しかねることを抜きにすれば。

「島にいるだけで貴重な時間」。全く同感です。そうですよねえ、ほんとに。

投稿: 喜山 | 2008/04/05 08:07

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