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2008/03/19

イシャトゥ

 与論精霊(スピリット)のなかで馴染みナンバー1は、イシャトゥではないだろうか。このブログでもこれまで何度も登場してきています。今回は、『ドゥダンミン』版イシャトゥです。

 《イシャトゥ》
 Y氏は、ある晩、岩の上から投げ竿で釣りをしていた。魚がかかった。するとそこに灯りが見えた。デントウアイキ(懐中電灯を使った漁)の人だと思い、「ヌガ、ワヌワジャクシュルムナァー(何で私の邪魔をするのか)」と言った。すると灯りが無数に増えて、さざ波さえ立ってきた。
 ああ、これはイシャトゥだなあー、と思った。そう思ったとたん恐怖でがたがた震えた。あわてて釣り糸を断ち切り、今まで釣ってあった魚もうち捨てて這々(ほうほう)の体で逃げ帰った。その灯りは南側の岩の所へ入っていった。気が付いたら被っていた帽子もなかった。
それ以来、魚釣りは一切止めた。
 Y氏が五十歳代のときの実体験として語ったことである。

 母が若い頃、さとうきびの搾りがらやススキを束ねてたいまつを作り、いざり漁をしたそうである。ある闇夜、弟の静治と漁をしていたら、小人が小さな明かりをつけて、二人の前になったり後ろになったりして歩いていた。気にかけながら、二人とも押し黙ったままでいた。

 目の前に大きなシガイ(手長たこ)が手を広げ、真っ赤になって座っていた。錆(もり)で突き、頭上にあげ「シガイとった」とやや大きな声で言った。弟にというより怪しげなものに聞かせるためであった。

シガイはたいまつの明かりを浴びながら、長い手で盛んに蛸踊りをした。その後小人は姿を消した。

 帰宅して弟に「小人を見たか」ときいたら、「うん、見た」と言った。
 ばあさんが、「ウワーシギヤー、イシャトゥエータイ」と言った。

 姉が十歳の頃、母は姉を連れて寺崎海岸にいざり漁に行ったそうである。すると舟に乗って近づいてきて「トゥラリュイヰー」といってから去っていったという。あれは「イシャトゥだった」と確信的に母が晩年話していた。

 イシャトゥは想像上の妖怪だが、イシャトゥの体験談は与論でいろいろ語られている。岩やウシクの大木に棲んでいて、夜、海に行く。

 悪口を言ったら仕返しをされると恐れられている。片足でケンケンをして歩く、ハタパギと言われる妖怪もいる。
 これらに似た妖怪は、大島ではキンムン、沖縄ではキジムナー、本土ではカッパである。
              平成十八年四月記。(『ドゥダンミン3』竹下徹)

 イシャトゥは人に悪さをする。与論の人はイシャトゥを恐れ、海で襲われて命からがらに逃げ帰る経験をしている人も多い。座敷童士のようなおどけた感じはない。もっぱら海にいるのかと思ったので、「岩やウシクの大木に棲んでいて、夜、海に行く」という生態は新鮮な知見です。与論にケンムンやキジムナーはいないと思うのですが、大木に住んでいるなら、イシャトゥは海イグアナのように海上に適応したケンムン(キジムナー)なのでしょうか。

 けれど、「イシャトゥは想像上の妖怪」と言って済ませないほうがいい。それは、海上でリアルな体験を与論の人が共有している限りにおいて、存在しているわけです。イシャトゥ話が尽きない限り、与論の自然は大丈夫だとも言えるのです。


 この機会に、これまでのイシャトゥ記事も載せておこう。

 「アーミャー - 赤い猫」 
 「海霊イシャトゥ」



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島の我が家ではタマにモノが無くなる。どんなに探してもない。もともと片づけが苦手なので色々なものが四次元に行くことはあるのだが、概ねはどこからか出てくる。そうではなく完全になくなるものがある。 アマンのNさんさんのところでは鍋敷きと銀のスプーンとフォークが... [続きを読む]

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