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2008/03/19

奄美の「丸刈り」問題

 今朝、「みのもんたの朝ズバッ!」を流していたら、奄美市という音に耳を奪われました。最近、奄美市のことが続けてニュースになるのが気になるのを感じながら聞くと、「丸刈り」のことでした。

「奄美市中学生丸刈りの波紋拡がる」(南日本放送)

現在、奄美市内の12の中学校のうち男子生徒の丸刈りが校則で定められているのが10校、ほかの2校も丸刈りという明記はないものの実質「丸刈り」となっています。

「丸刈り校則で中学校長と意見交換」(南日本放送)

 中学における丸刈りの強制は、「子どもの人権を無視したもの」だとして反対する保護者たちは署名活動を展開。奄美市の教育委員会は、各中学校で検討委員会を設置し話し合うよう、通達を出した。今週末、再び署名活動は行われる予定。

 現段階の進捗はこういうところのようです。

 この報道に触れて、ぼくはとっさに鹿児島本土はどうなんだろうと思いました。「奄美イケル」さんのブログによると、それは奄美諸島に集中しているようです。

「ボーズ」

鹿児島には、50校の丸刈り強制校がありますが、そのうち48校が大島群島に集中しています。ちなみに、奄美以外では203対2の丸刈り廃止が圧倒的多数。

 いまでは鹿児島本土でも丸刈りは無くなっているが、奄美には残っている。そういうことなんですね。そういえば、与論に帰ると“懐かしい”と感じる、その感じ方のなかには、男子中学生の頭のことも含まれているかもしれないと内省しました。

 「いまさら」です。でもこの「いまさら」を背負っているのは他ならない奄美なのだと改めて感じます。みのもんたも流すようにしか反応していませんでした。もっとも、みのもんたが正面切って取り上げるから重要だということではさらさらありません。西郷隆盛の大島紬マントのときもそうでしたが、みのもんたに分かるはずもない問題です。

 森本さんは、7年前に「髪ん風」(『けーし風32号』2001・9シマだより(奄美))で、

 鹿児島県の丸刈り族の資料を前にして、ぼくは鹿児島県民、ひいては日本列島民の歴史や文化の南北問題を感じている。

 と書いてらっしゃるが、ぼくも似た感触を持ちます。「いまさら」であろうが何だろうが、片づけなきゃなりません。

◇◆◇

 芹沢俊介の『現代<子ども>暴力論』(1989年)によれば、丸刈りという頭髪型は、恥辱に耐えるという意味で僧侶の修行のひとつとしてはじめられたそうです。それはさらに辱しめを与えるという意味で囚人に適用されることになりました。これが一般市民のあいだで適用されるようになったのは明治以降の軍隊においてですが、これが終点ではなく、昭和の世界戦争への突入に際して未成年者の一斉丸刈りの強制が出現したのだといいます。

 芹沢がそこで加えている考察はこうです。戦後は、こんどは衛生面、家計面から採用されたが、社会の成熟にともない衛生面、家計面の解決がはかられたあとでも丸刈りという頭髪型は残った。

それも、興味深いことに民主主義を率先して指導する建前になっている教育空間において。いや残ったというより、再び、校則という形で復活したのである。

 丸刈りという頭髪型の強制は、戦争状態への突入と同義であり、このことは社会がその内部のどこかに戦争状態を作り出すことを不可欠にしている理由があるのだ、と芹沢は述べています。

 学校の権威がすっかり地に堕ち無能力化した中学と、丸刈り強制の横暴をそのまま相転移したかのようなモンスター・ペアレントと、置き去りにされ隘路にもがく中学生との間で行われいているのが現在の戦争状態だとしたら、それは「丸刈り」以降の戦争と言うべきものだから、いまそのままの形では受け取りにくいけれど、「丸刈り」が支配的であるなかでは芹沢の解説は説得力を持っています。

 ぼくも中学入学時の「丸刈り」は心理的に嫌でした。昨日まで遊んでいた同級生と違う顔で会うことになるのが恥かしかったのも覚えています。それでもそれはほんの一瞬で、たちどころに学校風俗のなかで慣れていきました。みな、そうだからです。でも好きなスタイルなわけではないので、高校に行くと、当然、丸刈りを続けるわけもなく、髪を伸ばしました。

 ところが、高校二年生のとき、ジョン・レノンが死んだ二週間後に、何を思ったか自分で「丸刈り」にしてしまいました。その後も、なんでそんなことをしたのか、自分でもよく分からないままだったのですが、芹沢の解説を読んで、当時、ぼくは学校と鹿児島の風土との折り合いが悪く、その後、ある種の戦争状態に入っていったので、ああ、あれは我知らず戦闘モードに入ったということだったんだなと合点いったのです。

 まあこんな個人的体験はどうでもいいとして、芹沢解説の「丸刈り」の歴史を踏まえても、これは無くなってしかるべきものです。あとは、選択肢として残ればいい。中孝介がファッションとして丸刈りしているように、です。

 「奄美イケル」さん(「ボーズ」)が、

「はげー、中学生になっても坊主せんでいいっちよ」 と、喜びの「はげー」を耳にする日を、願っております。

 こう書いていますが、ぼくも同感です。


 ところで、この話題にどんな記事が出ているのだろうと、眺めたとき、「鹿児島県奄美大島の自然破壊」というタイトルで、

道路の草刈りを、名瀬市開発公社が行っているのですが、これによって、ありとあらゆる植物が問答無用で丸刈りにされています。その後・・・。蝶が、行き場を失っています。

 とあるのを見て、こっちの「丸刈り」も止めたほうがいいと、「丸刈り」つながりで思いました。




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コメント

何故、生徒自身でなく、保護者が署名に立つ?
その前に、給食費未払い問題はどこに行った?

そもそも、校則に対して意見できるのは、生徒自身ではないのか?
生徒が深刻に思えば、生徒会を中心に、生徒自身が動くべきではないか?
同じ保護者として、かならの疑問を感じる。
親バカの象徴・学校との亀裂を保護者が選択してどうする?
全く腹立たしい。

投稿: 奄美市在住・現在校生保護者 | 2008/03/23 10:33

奄美市在住・現在校生保護者さん

コメントありがとうございます。
この一件、生徒からの声は上がっていないのですか?
生徒の動機は必要条件として必ず必要ですね。
もしモンスター・ペアレンツのようなノリだとしたらまずいことになります。

投稿: 喜山 | 2008/03/23 17:21

この問題は最後は絶対に矛盾してくるんだよな
強制をしてはいけないということを定めて
それを遵守させるってこと事態が強制行為だからなw
学校へ行かなきゃならないって決めて
それに従えっていうことも強制だろ?
丸刈りの強制には反対するけども、学校へ
強制されて行くことの矛盾には気が付かないの

だって、学校ってのはまず最初に義務教育という強制ありきなんだぜw
ほとんどの日本人が勘違いしてるのは
義務教育の義務を負ってるのは親なんだよな
国が子供を教育する義務があるってんじゃ
なくって、国から強制的に義務なんだから親が子供の教育をせい!と言われてるわけ
だからどっちに転んだって強制なんだよ
大勢の子供を無理やり集めて強制的に教育を
行う。学習させる。マナーを教え込む。
ルールを守ることを教える。
人権を守りなさいってのも、人権侵害がやりたくてしかたないやつには強制だ
相手が合意しない限り全部強制なんだよw
法律の根拠があったって、それは法律で認め
られてるから強制して良いっていうだけの強制

民主的に決まったから従いなさいってのも
反対の意見のやつには強制だよな
民主主義を率先して指導する建前になっている教育空間ってこと事態が間違った考えなんよ
だって義務教育の強制だからな
だから教育問題で強制っていう概念に反対することは無理があるんだよ。
丸刈りを強制してはいけないってことを決めたので学校側には丸刈りを強制してはいけないっていうことを強制しますというだけの話に
しかなんないw
一度子供に聞いてみな?
家で遊んでるのと、学校に行かされるのと
どっちがいいかって
そのときに、遊んでる方がいいって言ったら
どうする?
学校行けって強制する?

投稿: mmm | 2008/04/11 01:40

>嘉山氏

貴殿の意見は論理のすり替えというか、問題の捉え方が間違っていると思います。

弁護士や保護者は「強制」をやめろっていってるんじゃなくて、「丸刈りの」強制をやめろって言ってるだけでしょう。

目的が正当で、手段に合理性のあるルールの強制は、社会生活を営む上で、受忍せざるを得ないことは、保護者らも認めているはずです。

生徒の健全育成という目的が正当だとしても、その手段として、「丸刈り」を「強制」していることは、手段と目的との間に関連性がない。

だから、「必要以上に人権を制約しているのは違法な人権侵害だ」、ということでしょう。

特に髪型の自由は、憲法13条の保障をうけるか否か、憲法学者の間でも意見が分かれるし、最近は13条の保障を受けるとする見解が有力になりつつあるということも、付言させていただきます。

投稿: 通りすがり | 2009/03/07 00:06

丸刈りはいいけど強制するな!って事ですか?
丸刈りにしてきなさい!は人権侵害??
強制うんぬん憲法うんぬんは別として、私の年代は中学で丸刈りでしたよ
「中学生男子は丸刈り、女子は肩に髪がかからない程度」
いう決まりでしたが、それが人権侵害なんて親も学校も考えてなかったでしょう
変な時代ですねぇ~
悪さしたり宿題忘れて叩かれれば親が学校に乗り込む時代だから仕方ないのかな・・・
将来子供達がどんな大人になっているか楽しみですねw

投稿: kyo | 2009/03/07 00:23

「幸福追求権と表現の自由を保障する憲法と、子どもに意見表明権を保障する『子どもの権利条約』、個人の尊厳を重んじる教育基本法のいずれにも抵触する」と断じた。

馬鹿な親が居るものだ。こんな考え方の親達がいるから今の日本は民主主義を履き違えている。親の考え方自体甘い。

決まっている事は、守らなくてはならない。
教育委員会もこんな馬鹿げたことは、きっぱりとはねつける事。丸刈り、何がいけないかさっぱり理解に苦しむ。変な時代になりました。
たった数年の時を過ごしたことは、後で良い思い出になるもの。

投稿: 通りすがり | 2009/03/07 00:42

 「決まっていること」がいつも正しいとは限らない。それをその時代の要求に合わせて改善するために民主主義があるのでは?中学生だからという理由で髪形を選ぶ権利はないというのはまったくおかしい。仮に中学生にも選挙権があるとしたらこんなことは考えられないだろう。
 
 学校側が拒む理由は今まで強制してきたことに関して納得できる理由を説明できないからでは?とにかく、当の中学生たちは一刻も早くこのような不条理な「決まり」がなくなってくれることを願っているに違いない。
 

投稿: masashi | 2009/03/07 01:22

校則=社会に出てからの、社則と思えば、納得いくのでは?
突き詰めると、法律になる・・・
校則が、たとえ理不尽なものでも、社会に出れば、
もっと理不尽な事柄も増えてきます。
それに対して、いちいち突っかかって行ったのでは、
社会、いや、もっと小さくして会社の中で、上司の
言う事も聞かない、自分勝手な人間になってしまいます。
会社の輪を乱して、挙句の果てに、そのような人間は、
必ず人のせいにするものです。
子供のうちは、多少、制約をつけた方が、精神を
鍛えると言う意味で、そして痛みや、嫌味を知る上で、
教育に必要な事です。
民主主義だか、資本主義だか知りませんが、まだ子供達は、そんな事も気にせず、ただ気分の上で生活しています。
丸刈りで、命を落とす事もありません。
大人になれば、あの頃は、カッコ悪かったよなぁ~とか、笑い話で終わるものです。
それより社会に出て、理不尽な事に、どう対処して行ったらいいのか?
を、考える大人になる様、親なり教師は、教育していかなければ、
ならない気がします。
同じように、丸刈りに文句を言う様では、その親も、
子供同等の成長しかしていないと推測されます。

投稿: 後藤 | 2009/03/07 02:02

masashi様のおっしゃるとおり。
学生時代から、いや幼少の頃から甘やかしているのは、他ならぬ親であ。やれ学校が悪い、どうのこうの言うのはつまらない親である。出来ている親は口出ししない。一々人権だなんだかんだ言う時間が有ればもっと子供を教育する事。そんな親に限って躾、道徳、倫理などまったくダメ。なぜならばそんな親が回りに沢山居る。親が親なら子も子。
社会に出ればそんな甘くは無い。

投稿: おやまぁ | 2009/03/07 03:03

私の中学時代はまさに坊主でした。
中学の校則に定めてあるためであったし、地域の中でも
有数の校則に厳しい中学だったんで仕方ないのかな?
というようなかんじでした。
小学生時代は短髪だったんでそんなに変化は少なかったですけど、髪型を強制されるっていうのには違和感を覚えたことはありますね。「そこまでいうの?」と


丸刈りは中学生らしい髪型とか、そういうもんだっていう風潮から、そういうことに疑問を感じて、みだしなみに気を遣う、考える機会になれば成長の機会としては
良いと思うかなぁ。

ただ、坊主頭の文化を残すにしても、自由な髪形になるとしても、そこへ至る経緯で子供置き去りの議論、大人たちだけの話で結論付けることにはならないようにしてほしいかなぁ

投稿: ぷに | 2009/03/07 05:25

私は後藤様の基準で言えば、子供同等の成長しかしていない大人です。そんな私がさぞかし成長されているのだろう後藤様に意見するのは、申し訳ないのですが、後藤様の論理はわかりずらいことだらけです。
まず、突き詰めると法律になる・・・これは何をおっしゃってるんでしょうか?だから思考停止して黙って従いなさいってことなんですか?上の方で通りすがり様が「決まっている事は守らなくてはならない」とおっしゃてましたが、同じような思考回路に感じます。法律も含めてより良いあり方はどうなのかということを常に一緒に考え、場合によっては見直すための行動を起こすことは、民主主義国家の主権者として当事者意識を持つという点でも当然のことだと思います。後藤様自身も下のほうで
理不尽な事にどう対処していったらいいかを考える教育が必要とおっしゃってますよね。そこは同感です。そしてその方法論の一つを実践してるに過ぎないんじゃないんですか。(尤も、疑問点としては今回のケース、まだ当の子供・生徒の動きが見当たらない。おそらく学校に対するあきらめか萎縮、もしくはめんどくさい事を回避する傾向からではないかと思われるが)それとも後藤様の対処法はそんなときでも長いものに巻かれるように黙って従い、疑問の意見も表明しないのが唯一の対処法なんですか?とすれば例えば「派遣法改正」を訴えている人たちもとんでもないやつらということになりますね。今更言うまでもないと思いますが、この日本国の主権者は我々国民であって、首相でも天皇でもありません。もう一つついでに言うと、何か法律というものを我々が関与する筋合いのない絶対的なものに捉えてられるように思いますが、法律とはどんなものなのか本当にご理解されてるのかも疑問に感じました。下手をすると法律と憲法の区別もついてないのではと・・・
上の方でmasashi様が書かれていた様に「決まっている事」がいつも正しいとは限らないと思います。校則であれ、法律であれ同じことです。だから改正されることもあります。まして法律なんてものは特定の人たちが自分たちに都合よくなるよう悪法を作ることもしばしばあります。そんな時でも疑問点を考えたり意見表明をしたりせず、ただ黙って従うだけの大人になるよう教育するのが正しい教育なんでしょうか?いつまでもそんな当事者意識のない「おまかせ民主主義」を続けているから、質の悪い政治家の地位までも安泰なのではないでしょうか?
 ところで法律と主権者に例えると校則と生徒の関係とは違う、生徒は主権者ではないという反発も返ってくるかもしれません。上の方に現在校生保護者の方がなぜ生徒でなく保護者が、と書かれてましたが、では果たして大人が一切介入せず生徒だけが意見表明したとききちんと取り合ってもらえるのでしょうか?子供(未成年)のくせに生意気だとか、教育を受けてる立場のくせに権利ばかり主張しやがってとか、いろんな理由をつけて議論にすら応じず「上から」力で押さえつけて黙らせようとする人がいるんじゃないでしょうか。取りようによっては子供が甘い勘違いをするようなシグナルになるかもしれないことを覚悟の上で、主権者の話を持ち出したのは法律という話が出たのと、そうした子供の権利というものを全く考えてない大人がいるからです。権利を穿き違えた子供のわがままと認められるべき子供の正当な権利と区別できてない人がいるのではないでしょうか?私自身は丸刈り校則に疑問をぶつけたり意見表明する行為はわがままとして押さえつけなければいけないものとは考えていません。そういう状況を見かねてという大人が出てくることはあっていいように思います。昨今のモンスターペアレントとそういう大人をきちんと見分けるのも必要なのではないでしょうか。
また後藤様にしろ、通りすがり様にしろ何か根本的な勘違いをしているのでは?と感じます。今話題になってるのは、規則に従わない人の話ではなく、規則を変えるべきではという意見が出ているという話ではないのでしょうか。校則に反して丸刈りにしてない生徒がいるという話は見当たりませんが。先ほど悪法と言いましたが、悪法でも法治国家である以上、その法が生きている限り従わざるをえません。しかし法に従うことと、その法に賛否などの意見表明したり、疑問を問いただしたり、改正のための運動をしたりすることは全く別の話です。そうした人間が出てくることが我慢できず、いわゆる「上の」人が決めたことには黙って一糸乱れず従い、誰も文句言わない世界に「理想」を感じるのであれば、すぐ近くに理想的な国家があるので移住をお薦めします。最近もミサイルがどうのこうの騒がしいみたいですが・・・
後藤様の文面で細かい疑問をあげればキリがないので全てに反論はしませんが、例えば上司(というより経営者やその一族)に意見すらできない社風だったことが不祥事を助長したというニュースなども見たことありませんか?(食品偽装企業など)
また、制約をつけた方が精神を鍛えるとありますが、丸刈りにすると精神が鍛えられるんでしょうか?ちなみに私は遠い昔の中学時代校則で丸刈りでした。当時は私の地元にもそんな風習が残っていたんです。しかし私はそのことで精神が鍛えられたんでしょうか?本人は全く自覚ありません。
多くの人間が共存していくためには、子供でなくても一定の制約・ルールは必要です。しかし何故そのルールが必要なのか理由を自分で考えたり人と議論したりする習慣をつけさせず、ルールなんだから何も考えずに黙って従えと押し付けるだけで、本当にルールの大切さが身につくんでしょうか。しかもそれではあらゆることにルールを作らないと、ルールにないことは善悪の判断すらできない、そんな大人が増えてしまわないか危惧します。
ちなみに私の地元では私の卒業後数年で丸刈り校則は廃止になりました。もうかなり前の話です。全国的にもそういう動きが多かったようです。当時も今も、あるいは私の地元も奄美も変わらないなと思うことは、なぜ丸刈り校則が必要なのかという説得力ある話が見当たらないこと(特に強制しなければいけない理由)、そして丸刈り校則のない学校に比べ具体的にまた客観的にどんな良い教育効果があったのかその説明が見当たらないことです。
成長されている後藤様が「民主主義だか知らないが、そんな事知らずに気分で・・」とは不思議なお言葉ですが、社会科の授業でもやるはずですし、中学生レヴェルになれば民主主義というものをきちんと考えている人がいないような断定するのはいかがでしょう。また先ほど書いたような「おまかせ民主主義」による政治の貧困の不幸から国民を守るためにも、民主主義国家の主権者としての自覚を育てる教育をして、そうした大人を増やすことも必要ではないでしょうか?勿論そこには権利意識を育てることも必要であり、同時に義務や責任を自覚させることも必要と思います。
成長してない大人のたわごと恐縮でした。

投稿: taka | 2009/03/07 06:25

坊主がどのように機能しているかはわかりません。
ただ、習慣とか慣習には意義のある機能があることがあり、それを大人たちが漠然と感じているから子供に伝承したいと思うのでしょう。
その機能を子供に説明するのは実際難しいと思います。坊主にする理由(いいかどうか別の話で)をきっちりと子供に説明する必要があるかは疑問です。その行為が正しいかどうかはその社会・環境においてちゃんと機能し、その子が成長して人生を送る仮定でプラスになるかどうかだと思います。絶対的に正しいとか正しくないか、これは大人でも難しい。日本では食事を素手でするのは行儀が悪いが、ある他国では普通のことです。ではどうして?と聞かれてもすぐには答えられません。
坊主問題にしても、推奨している大人が疑問に思っている大人に対して説明できなくては行けないと思います。
大人の中で 良し とすれば「習慣、文化なんだよ。いずれわかるさ。」と今時点では子供に伝えればいい。
これはあくまで”成長した”大人同士の問題だと思います。
個人的には夢遊病のような無気力な現代の若者を見ると(ちょっと偏見ですが・・)物心もそこそこの子供にはある程度、本人が規制と感じる規制が必要かと思います。自分の経験からも言って。

まあ 独り言ですのでご容赦。

投稿: 別の通りすがり | 2009/03/07 07:13

民主主義のルールや義務教育云々等の議論もあって良いでしょうが、丸刈りの問題とは少し距離があるのではと思います。

『校則=社会に出てからの、社則と思えば、納得いくのでは?』
との意見がありますが、丸刈り規則のない学校を選択できないので会社の社則とは性格が異なります。

私立学校なら規則や伝統を理解して入学するのが原則ですが、進学する時に選択の余地がない公立中学校の校則は必要最小限であるべきだと考えます。

校則について決定権を持つのは学校長ですが、赴任先の校則を変更するにはそれなりの理由が必要です。
生徒や保護者が要求しないのに変更することはあり得ないし、教育委員会が反対すれば従わざるを得ません。
したがって、学校教職員はこの問題に関しては、求められなければ発言しません。
また、多くの教職員が丸刈り規則には疑問を持っていますが、校則に異議を唱えることは認められていないので、民主教育や人権教育としてこれを取り上げないだけです。
 

余談ですが、丸刈り強制規則は、国際的には児童虐待とみなされています。
1994年に「児童の権利に関する条約」(子どもの権利条約)が批准され、5月から効力が発生した事で、
1996年に、児童の権利に関する条約と国際人権規約(B規約)に基づき、国連の「児童の権利に関する委員会」より日本政府に「日本はもっと子供の権利を尊重するよう」に勧告され、丸刈りを強制する校則が全国的になくなっていきました。
2004年にも同様の勧告がなされています。
 

 


投稿: harun | 2009/03/07 08:29

>別の通りすがりさん

でも、丸刈りなんてのは、もともと日本の伝統でも奄美の文化でもないですよね?

投稿: mjp | 2009/03/07 08:38

どうしてこの問題に人権侵害だの,児童の権利に関する条約だのという言葉が出てくるのかなあ?それって結局全部後付けの理由でしょw
だったら強制的に教育を受けさせる義務を負わされた親が,親の人権侵害として訴えれば?それが認められたら丸刈り校則のある学校に自分の子供を進学させなくて済みますよ。
ある一定規模の集団に,ある一定の決まり事は必要悪。それが地域によって,学校によって,またそこの実状によって変化してるだけの問題。
私も最悪と呼ばれる中学校の保護者だけど,ただでさえ授業になっていない現状があるのに,それ以上に余計な指導(髪染めや髪型指導)に先生達が時間を取られる方が困るなって感じですね。

投稿: 誠 | 2009/03/07 09:37

丸刈りが人権侵害、子供の虐待、まったく関係ない。
回りの者、保護者の単なるエゴ。以上。

投稿: おやまぁ | 2009/03/07 10:26

あまりにも回りの者が言い過ぎ。以前から丸刈りの意見が沢山あります。丸刈りは何も奄美だけではありません。
私が住んでいる校区の中学は丸刈り。甥っ子も今度中学。
丸刈りについて甥っ子に聞いたことがあります。
丸刈りをどう思うか、人権侵害、虐待と思うか。本人いわく、別に。抵抗無いのです。
逆に丸刈りにより中学生になった自覚があります。親達も別に何も言いません。当然と思っているからです。

投稿: おやまぁ | 2009/03/07 11:13

1996年まで鹿児島県鹿屋市第一鹿屋中学校は丸刈りを校則として男子生徒に強制してきました。
私は意味の無い校則に疑問を感じました。
1)もし意味があるのであれば、何故全国で全国で共通していないのか。
2)女子生徒に強制しないのであれば、男女差別の象徴だと言える。
3)生徒の鏡である教師は、見本となり何故全員丸刈りにしていないのか。
4)丸刈りにする理由は何か。
よって、私は小学校を卒業した後に中学の校長に話を聞きに行きました。しかし、「親はどうした?君だけ一人で来ても話にならない。」と、取り合ってもらえませんでした。後日、親を連れて面会に行きました。その際、上記の質問を投げかけました。
中学の生徒指導教師より得られた回答は下記の通りでした。
1)それは、第1鹿屋高校の事であって全国は関係ない。だったら、東京にでも行けば良いだろう。
2)女子に強制するのはおかしいだろう。常識で考えろ。
3)教師がするのはおかしいだろう。先生たちは大人なんだ。
4)校則でそう決まっているからだ。生徒手帳にそう書いてるだろう。読めないのか?
私は、話にならないのはどちらでしょう?そう感じました。何一つ、納得のいく理由を提示してもらえませんでした。なぜなら、納得いく理由が「無い」からです。
誰一人、疑問に思っていても主張できないのは教師の圧力に対する恐怖からです。当時、教師は生徒に暴力を振るっても鹿児島では問題になりませんでした。
教師にとって、生徒に圧力をかけるのは簡単な事だったのです。
また、教育委員会に話をしにいっても、全て学校に任せてあります。と言う始末。
このように、テレビで取り上げ、全国に周知し、鹿児島に残る大人による子供に対しての不名誉、不平等、人権侵害問題に日本国民が向かうべきだと思います。
この問題は、大人と言う強者が子供と言う弱者に対しての「いじめ」以外の何物でもない。伝統や校則を武器に子供の心に傷を与える精神的「いじめ」を学校が行使していいはずが無い。「いじめ」を認めてはいけない。自分たちが子供の頃は・・・という僻みが生む「いじめ」を繰り返してはいけない。弱者は、法によって、大人によって守られるべきです。

因みに私は理由に納得いかなかったので校則を無視し、髪を伸ばしていました。耳にかからない程度の清潔感あふれる髪型でした。制服もきっちりボタンを留め、シャツをズボンに入れ、着こなしていました。遅刻もしないし、授業はきちんと受けました。成績も上位クラスでした。明るく個性的な性格だったので、周囲にはたくさん友達がいました。初めは「丸刈り」にしていない事で気に入らない態度を取っていた生徒も居りましたが、後に仲良くなりました。人は、外見ではなく最終的には中身で判断するのだと学びました。
私は今、大学も出て、良い幸せな人生を歩んでいます。

大人のエゴで子供たちを腐敗させてはいけない。過ち、いじめを繰り返してはいけない。正しい方法で子供たちを伸ばし、育てていくべきである。
丸刈り強制は意味の無い「いじめ」の道具です。
一刻も早く、撤廃するべきです。

明るい子供たちの未来のために・・・

投稿: 丸刈り拒否児 | 2009/03/07 11:16

わが国の伝統を軽んずるなと私は言いたい。本来我が国においては「家」がすべての根本です。子供の教育に対する責任と権限も家が持つべきもので、学校はあくまでもその一部を委譲されているにすぎません。髪型なんぞはそれこそ家が決めるべきもので、部外者である学校なんぞの出る幕ではありませんね。鹿児島のように伝統が残っていそうな地域でも、そういう「家」の重みが失われているのは嘆かわしいですな。

投稿: 瀬戸内静子 | 2009/03/07 14:53

ぷにさん。ホント成長してない大人のたわごと。くどくど言わず、しっかり子供の教育が先。
坊主が何が悪い。坊主の学校もある。そこに通っている生徒は当然と思っている。

投稿: pon | 2009/03/08 02:02

昨日の私の投稿から一日たちましたが、私が書いた疑問点に対し、丸刈り校則賛成派から共感できる、もしくは説得力ある主張は現在のところ全く見当たりませんね。全般に賛成派の方たちの主張には、同じような問題点が見受けられるように思います。
それは根拠のない(もしくは薄い)思い込みや観念論が多いこと。しかもそれが本当に正しいのか再度考える、見直すという作業すら嫌がって思考停止したがっているように見えます。その影響が自分にだけ降りかかることならそれでも個人的生き方・考え方として構わないのかもしれないが、強制ルールで他人にまで影響を及ぼしていながら、問答無用に近かったり、説明する必要はないだのという考え方にはとても共感できません。以下いくつか個別に疑問をぶつけさしていただきます。

別の通りすがり様

坊主が機能してるってどういう意味ですか?全体にちょっと日本語がわかりずらいところが多いのですが。それはともかく、漠然としてるだとか、正しいか正しくないか難しいだとか、そんな曖昧な理由で強制されることに正当性は感じられませんし、反発する人が出るのも当然にしか思えません。前にも書きましたが、私自身が中学3年間校則で丸坊主を経験してますが、当時の心情を振替えっても、大人になった今改めて考えてみても、そんないい加減なものではとても納得・共感はできません。私とあなたでも考え方の違う部分はいろいろあると思いますが、そうした時一方的に私の側の考え方に従った行動をとれとあなたに強制するようなことがもしあったらあなたはどう思いますか?しかもその時、何故強制するのか根拠が曖昧だったり説明もせず、また説明する必要はないなどと言われたら・・・教育課程の中学生だから、それでも良いのですか?中学生(まして今時の)くらいになれば、そのくらいの自我は持ってます。抑圧された不満やあきらめを植えつけるだけで、教育上はむしろマイナス効果の方が大きくなるのでは?と考えます。無気力の若者が多くなるのは、希望が持てないことが一つの大きな理由であり、そこにはこのように疑問を感じても抑圧されてあきらめるしかない、長いものには巻かれるしかないという状況をつくることによってもそうした無気力者を増やすことにつながるように思うのですが。
一方で大人同士では反対者に対する説明が必要ということですか?ただ「成長した」大人とありますが、それは大人の中でも説明の要不要で選別するということですか?
成長して人生を送る過程でプラスかどうかは検証したんですか?
世界にはいろんな習慣や慣習・文化がありますが、それらは全てが必ず意義があることなんですか?また見直したり、見直しを考えたりしてはいけないものなんですか?

誠様

人権侵害の評価が後付けになるのは、普通のことです。個別の案件ごとに事後評価して人権侵害を指摘するのが基本ですから、基本的には皆後付けになります。反対理由として先に見つけた理由か後かという見方があるのかもしれませんが、そもそもその後先がそんなに重要なことなのでしょうか?私は自分の過去を振り返っても一番重要なことは生徒が人権侵害されているのかどうかという状況そのものと思いますが。
また、反対理由にしてもうまく言葉にできなかっただけで、結局においてはこうした人権侵害的理由が、この校則に反対する最大理由ではないかと思いますが。それとも何か他にもっと大きな反対理由があるというのでしょうか?また、生徒・子供の教育について考えるとき人権侵害や児童の権利・虐待といった視点は一切持たなくて良いということなんでしょうか?
教育の義務が何故必要なのかと丸坊主校則の維持が何故必要なのかを同じ程度のものとして捉えているようにも感じます。両者の必然性には大きな差があるように感じます。そもそも教育の義務を果たすことと、丸坊主校則から逃れることは両立不可能なことなんでしょうか?教育は受ける(受けさせる)でも丸坊主校則は嫌、という考え方は特別矛盾してるとは思ってません。実際今の日本では奄美以外の地域ならほぼ全面的にその希望に叶います。今ここで問題になってるのは公金を使ってる公立校の話だということも忘れていませんか?(補助金はあるが)自己資金で運営してる私立校とは同列に論じられないと思います。
一定の決まり事は必要悪とありますが、必要悪とわかっているのなら、私を含め反対派がこれまで投げかけてきた疑問になぜ答えないのですか?必要でかつ悪ということは必要最低限だけにするべきですし、それでもこの規則は必要なのだという説明できる理由があるはずです。必要悪といいながら理由も説明せずに規則を温存しているのは矛盾です。
授業崩壊に対する対策として丸刈りが有効とするデータでもあるんですか?髪型指導に時間を取られるとありますが、それは丸刈り校則下でも同じこと。中には教師がバリカン持ってて刈る、などという指導まで見受けられます。(私もやられたことあります。)

おやまあ様

連続投稿されてますが、上のほうは単なるあなたの個人的意見の表明だけで終わりということですね。
下のほうについて、周りの者がいいすぎ、とありますが、これは私が前の投稿でも書いた通り、大人が介入せざるをえない状況があるからではないですか?実際先ほどの「別の通りすがり」様にもあるように中学生なんかにきちんとした説明など必要ないと考える方がいらっしゃいますし、「丸刈り拒否児」様の投稿にあった鹿屋の学校の教師のようなお粗末な対応しかせず、生徒だけでは何も変わらないという事例が多いのではないでしょうか。「子供だから」「教育を受けてる立場だから」と抑圧的に抑え込むだけでは大企業が下請けに対してする「優越的地位の乱用」と同じです。世の中にはこのような理不尽があるから中学生の段階から理不尽に堪える訓練をしているということなんでしょうか?
丸刈り校則は今現在ほとんど奄美だけといってもいいような状況になってきているようです。確か毎日新聞かなんかの記事で読んだ記憶があるのですが、今も丸刈り校則を維持しているのは全国で50校程度、内40校以上は奄美だそうです。
「私が住んでる校区の・・」以下の文章は、個人的にこういう人もいる、という話にすぎず、校則で強制しなければいけない理由には全くなってません。このような考え方の人は個人的に任意に丸刈りにしたらいいだけのことです。私たちは丸刈りというスタイルを全否定しているわけでもなければ、丸刈りにしたい人にさせないよう禁止しろと言っているわけでもありません。したくない人に強制するのはやめてくれと言ってるだけです。その辺も前の投稿のときから言ってるはずなんですが。

pon様

またしても「自称」成長してらっしゃる方ですか?人のことたわごとと言ってるわりにはここまでの一連の投稿をきちんと読んできたのか首をかしげるような内容ですね。
坊主が悪いなんて誰も言ってないですよ。坊主を強制するのが悪いと言ってるんですよ。その違いまだわかりませんか?
「そこに通ってる生徒は当然と思ってる。」って全員に聞いたんですか?奄美だけでも確か40校以上ありますが・・・


投稿: taka | 2009/03/08 07:05

初めまして。
今朝TVでこの問題を見て、奄美教育委員会に疑問をぶつけてみたものです。
VTRを見て、疑問に思った点として、

1.『地域のニーズとして「丸刈り規則」を設けている』と言っていたのですが、その「地域のニーズ」とは、何時、どういった集団から要請されたニーズなのか?という事。

2.教育委員会として、この問題をどう捉えているのか?という事。

の2点を問い合わせてみました。

1の回答としては、「TVを見ていないので判らない」との回答で、2は「担当ではないので判らない」との回答でした。

私も今朝ニュースで知ったばかりで、問題点の細かい部分の把握ができていないのですが、問題点は以下の物でいいんですかね?

①.学校選択の余地の無い『公立中学校』で行われている点
②.生徒自身の自主性を重んじるのではなく、校則によって強制している点

投稿: りょうげつ | 2009/03/10 22:00

りょうげつさん。

コメントありがとうございます。喜山といいます。

2の生徒の自主性というより、「丸刈り」が現在の市民社会の持っている自由の感じからすると、著しく制限されていることが指摘されているのではないでしょうか。

それにしても教育委員会の返答はすごいですね。
わたしは奄美出身者ですが、この強制が無くなるのを願っています。

投稿: 喜山 | 2009/03/12 08:54

りょうげつ様

はじめまして。宜しくお願いします。
早速ですが、そんなテレビやってたんですか。見たかった気もしますね。
「地域のニーズ」というのは推測の域を出ませんがおそらくたいした根拠のない話ではないかな?と思います。責任転嫁のためにありもしない話をでっち上げているか、せいぜい少数の意見を「皆の意見」のようにしているかどちらかじゃないかと思います。昔そういう意見を聞いたという話を見直しもせずいつまでも引っ張っているかもしれませんね。いずれにしても後で追求されることなど想定外なのでしょう。もし本当に地域全体の意思を公正に問うて多数決に従ったとするなら上出来な方でしょうが、その可能性は低いと思います。
ただ私は個人的にはこの件についてはたとえ多数決に従ったとしても賛成できません。多数決というのは民主主義社会の意思決定方式の1つですが、それには多数意見と少数意見の両立が不可能でどちらかに決めざるを得ないとき、止むを得ない最後の手段としてあるものと考えています。従って多数決をとるときにも最大限「少数意見の尊重」は求められます。ましてこの件は坊主頭に賛成の者、反対の者両者の自由を両立することは不可能ではないのになぜ強制によって反対者の自由を奪わなければいけないのか?そこの部分がはっきりしない以上、たとえ少数意見であったとしてもつぶす必然性はないと思います。
問題点について個人的に思うことは、①についてはその通りだと思います。(もっとも私立学校についても確か補助金が公金から入っているはずなので、学校の自由裁量をどこまで無制限に認めるべきか?というのはまたいろいろ考え方があるのではないかな?と思います。)
②についてもおっしゃる通りだと思いますが、本当に自主的かどうかというのは注意が必要な気がします。学校側が強圧的もしくは巧妙に「自主的」を演出する可能性も無くはないと思ってます。実際この問題で学校を訴えた過去の訴訟のうち、原告敗訴となったものについては、強制ではなく生徒が自主的に守っていることを前提としたため敗訴になってます。

投稿: taka | 2009/03/15 20:18

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